【クセになる味】富山ブラックサイダー
富山県と言えば「富山ブラック」! ブラックラーメン、ブラックカレー、ブラック、ブラック…なんでもブラックと言えばいいようになんでもにブラックが付く気がします。もちろん、「富山ブラックサイダー」というのもあります。
それがこちらです。
その名の通り見た目は真っ黒。そういや、コカ・コーラも黒かったですね。
果たして、味の方はコカ・コーラのような感じなのでしょうか?
瓶の蓋を開けて、ぐびっと一発。醤油の味でした。まさに醤油を飲んでる感じ。
醤油を飲むって聞くとなんだか不味そうに聞こえてしまいますが、これまた飲みやすくてクセになる味なんですよね。くぴっと一発で飲んでしまえます。胡椒のスパイシーなフレーバーもプラスされ、サイダーの甘みと炭酸の爽快さが絶妙にマッチした、独特のテイストです。万人受けするという感じではなく一部の人を虜にしてしまうようなかなり異色のサイダーでもあります。
どちらかといえば、塩味のサイダーなので甘いお菓子に程よくマッチします。かき氷やアイスクリームにも合いそうですね。
この富山ブラック発祥はもともとラーメンから始まりました。富山ブラックラーメンは富山県で生まれたご当地ラーメンの一種です。
誕生は戦後まもないころ、肉体労働者や食べ盛りの若者のための昼食として、「ごはんのおかず」になるような濃い味付けをラーメンにしたのが始まりといわれています。
白飯に合うようにと、具はざく切りのチャーシューと塩辛いメンマ、そして、一番の特徴は、醤油ベースの真っ黒いスープ、大量にきかせた胡椒です。
総じて「塩辛い」味付けなのですが、スープは各店、「秘伝の工夫」がほどこされ、病みつきになる人があとを絶えません。
その味をサイダーとして再現したのが「富山ブラックサイダー」。このサイダーを飲むと富山ブラックラーメンを食べたくなるかもしれません。富山を訪れた際には「富山ブラック」をぜひ挑戦してみてください。
【働く博物館】能勢電鉄の旅と魅力
阪急大阪梅田駅から宝塚行きの急行に乗車すると21分。川西能勢口駅という駅に到着します。
川西能勢口駅の宝塚方面の列車が到着する1号線から階段を降りてコンコースへ降り、そこからエスカレーターで3, 4号線ホームへ。
そこからは昔懐かしい少し焦げたような匂いが漂ってきます。3号線は宝塚線の大阪梅田方面、そして4号線から発着するのは今回の主役、能勢電鉄です。
阪急電車と何ら変わりないじゃないか…というか何が違うの…?
実は能勢電鉄で使用されている車両は全て元阪急電鉄の車両。基本的に元神戸線や宝塚線の車両が使用されます。写真の1700系電車は元阪急2000系。写真の1755号車は1962年12月に竣工し現在でも現役。御年57歳。
20年ほど前までは割と派手目な能勢電オリジナルカラーに塗装されていたのですが、検査時の費用節約(能勢電の車両は阪急の車庫で大規模な検査を行う)のためか、阪急電車と同じ塗装にされてしまいました。内装も一部の車両を除きほとんど阪急時代のままですので、川西能勢口駅で阪急宝塚線と対面で停車するためか乗り間違える方が一定数いるそうです。
車内に掲げられている銘板には昭和37年の文字が。
東海道新幹線開業は昭和39年ですからそれよりも前から活躍していたということ。路面電車では構造が比較的単純なことから50年以上使用され続けるのは普通のことですが、大手私鉄の車両がここまで生き残り続けるのはかなり稀なことです。高度経済成長期の頃を今に伝えてくれます。まさに能勢電鉄は「動く博物館」いや、今でもバリバリ現役ですから「働く博物館」です。
能勢電鉄は能勢妙見堂の参詣客輸送と、沿線で産出される三白(酒、米、寒天)・三黒(黒牛、栗、炭)などの特産物の輸送を目的として開業しました。しかし、現在の最も大きな役割は地域輸送。川西能勢口駅を出発し鶯の森駅までは比較的平坦です。鶯の森駅からはトンネルや鉄橋などもいくつか存在しますが、山下駅までは住宅が多数立ち並びます。阪急宝塚線の支線としての役割が強いということを印象付けます。
私事となりますが、約10年ほど前まで私はこの山下駅近くの住宅地に住んでいまして、能勢電は私の鉄道好きの原点とも言える鉄道会社です。能勢電の楽しさが私の幼心を刺激したのでしょうか、それ以降様々な鉄道に乗り、私の鉄道への興味を成熟させていったようです。当時の私にとっては目的の鉄道ではなく始まりの鉄道だったわけですが…引っ越した今でも年に1回程度は乗りに行くような魅力的な鉄道です。
さて、話がそれましたが山下駅は日生線との分岐駅でもあります。
日生線は日本生命保険と新星和不動産が開発した日生ニュータウンへのアクセス路線として開通しました。路線の34パーセントがトンネルで残りの部分の大半は高架線のため、踏切は一つもありません。モーターを響かせてかなりの高速度で駆け抜けていきます。
山下ー日生中央と後述する山下ー妙見口では2両編成(検査時などで時により4両編成)で区間列車が運転されています。これは川西能勢口からの直通列車は妙見口行きと日生中央行きの交互に運転されているのでこの区間の利便性を保つためのもの。この区間専用の2両編成の車両には、かつて能勢電鉄を走行していた車両の能勢電オリジナル塗装がされています。
打って変わって川西能勢口から続く妙見線は山下駅を過ぎるとトンネルを抜け、里山の風景の中を走ることになります。
周りには田畑が広がる区間もあれば森林の中を走り抜ける区間、トンネルなども沢山あります。山岳鉄道のような趣を感じる区間でもあります。途中には閑静な住宅街への最寄り駅もありますが、車内からはあまりその住宅街の雰囲気を感じることはできません。
終点の妙見口駅の周辺にはのどかな里山の風景が広がります。妙見口駅は大阪府最北の駅であり、妙見の森ケーブルやリフトの乗り換えの駅として妙見山の頂上へ向かう客が多数利用します。
妙見の森は能勢妙見堂のほかにバーベキューができる場所やハイキングコースなどが家族で来て楽しめる施設などが沢山あります。
高架線もあり山あり鉄橋ありと様々な変化に富み、かつては阪急電鉄で活躍し50年以上走り続ける車両が残る能勢電鉄。ご家族と、ご友人と、おひとりさまでも。ぜひ能勢妙見の旅をお楽しみください。
【未成年でも楽しめる梅酒】BENIサイダーを飲んでみた感想 ~福井県のご当地サイダー
ご当地サイダーを飲むことで地域の名産品について知るこの「ご当地サイダー」企画。第4弾の今回ご紹介するのは福井県の「BENIサイダー」です!
ご当地サイダーらしからぬ見た目…どちらかというとお酒のようなイメージです。梅酒ではなくあくまでもサイダーですので未成年でも飲むことが出来ます。
さてさて、飲んでみましょう…沈殿しているので振らないと…振ってはいけません。この沈殿は天然梅果汁入りの証だそうです。
気を取り直して飲んでみましょう。
蓋を開けるとポッと梅のいい匂いがしてきます。
一口目に感じたことは酸っぱくない梅干し。あっさりとした味でいくらでも飲めそうです。二口目には梅酒のような味わいだと気づかされました(筆者は未成年で梅酒を飲んだことがありませんので想像の「梅酒」です)。香料・酸味料を使用していないので、梅そのものの味を楽しむことができました。梅の味を楽しんでほしいー生産者の方々の思いが伝わってきそうです。
炭酸自体はそこまで強くないので、子供から大人まで幅広い世代でおすすめの商品です。
さて、この「BENIサイダー」ですが福井県産の紅映(べにさし)梅が使用されています。「BENIサイダー」のBENIとはこの紅映の紅から来ているのですね。
紅映というその名称のとおり、青梅の表皮が熟するに従って鮮やかな紅色に染まり、芳香を放つそうです。福井県には紅映以外にも梅酒用としてすぐれた「剣先」、梅干し専用種の「新平太夫」がありますが、福井梅の代表品種は「紅映」で、一般に福井梅というと紅映梅のことを指します。
ほとんど福井県でしか生産されておらず、流通量は全体の1%ほどだという貴重な梅です。
この紅映梅を用いて梅酒作りをされているのが株式会社「エコファームみかた」さん。
自社梅園をもち、若狭で生産された「紅映梅」を使い、無香料・無添加の本格梅酒づくりをしている会社で、梅酒工場もあり、梅の生産、加工、販売まで全てを手掛けてるそうです。梅酒と感じた私の感想は梅酒づくりをされている会社のサイダーだからなんですね。
株式会社「エコファームみかた」さんは梅酒や「BENIサイダー」のほかにも梅シロップや梅パウンドケーキなども販売されておられます。ぜひ、この機会にお試しください。
明石で明石焼きを食べて観光する
私のおすすめの食べ方は1つ目は出汁につけずにそのまま明石焼きそのものの食感を楽しみます。2つ目は薬味を入れずに出汁をつけて口の中に旨味がジュわっと広がるのを楽しみます。3つ目以降は出汁に薬味を入れて味の変化を楽しみます。これが私流の食べかたです。
とろけるようなふわとろ食感で卵と出汁とタコの組み合わせがたまりません。
明石港は漁港なので、漁船を沢山見ることが出来ます。
1621年に小笠原忠真が明石浜を浚渫し明石港を造り、港の入口にあたる波門崎に石壁を築いて港を改修しました。現在の明石港には1657年頃に5代藩主松平忠国によって造られたという旧灯台(波門崎燈籠堂・はとさきとうろうどう)が残されています。この旧灯台は国の登録有形文化財に指定されており、現存する日本の旧灯台のうち、設置年代は2番目に古く石造では最古で、1963年に港が改修工事を行うまで現役で活躍していました。
しかし、観光資源化されておらず県と市が一体的な整備を行わないといけないためか問題になっているそうです。現在、フェンスで囲われているだけでごみの不法投棄や落書き、車の不法駐車などが絶えないようです。
世界最大のつり橋として知られている明石海峡大橋の全景を眺めることができます。全長3,911 m、中央支間1991mです。本州と四国を結ぶ3本の本州四国連絡橋(本四架橋)ルートの一つ「神戸淡路鳴門自動車道」の一部として供用されています。
青空に映える明石海峡大橋。こちらからは夕日は逆方向になるので眺められませんが、朝日なら見ることができますね。【お土産レビュー】新感覚の干し柿・蜜珠柿
前に奈良のお土産として「柿もなか」を紹介しました。
miyakoji-cityliner.hatenablog.com
今回も柿のお菓子の紹介ですが、もなかではなく干し柿です。
干し柿って聞くとすごく苦くて不味いイメージを持たれる方も多いと思います。実際、小学校で干し柿が給食に出た際は手も付けず残している人を数多く見かけました。なんとももったいない話です。
ですが、今回ご紹介する「蜜珠柿」はそんなことは一切ありません。むしろ甘くておいしいです。確かに柿の味はするのですが、柿のうまみを最大限に取り出した感じ。この干し柿を食べると柿に対する思いが変わるかもしれません。
外観から見ていきましょう。
パッケージはお店のロゴが入っているだけで極めてシンプルなデザインの袋です。その中に干し柿が丸ごと一個入っています。
お土産を買うとき、後ろの商品表示を見て買われる方も多いと思われますが、裏面に商品名が書かれています。「蜜珠柿」。食べてみるとその漢字そのままということが分かると思いますが…それはさておき。
柿は奈良県産の物だけではなく、和歌山県産のものも使用しているようです。
中には柿が丸ごと一個入っていました。
ひっくり返っているように見えますが、袋から取り出すとこちらの向きを向いていたのでこちらが正しいのだと思います。
干し柿なのに、普通の柿を干したような大きさがあるのが印象的です。袋から取り出しただけで甘い匂いがしてきますよ。
やはりこっち向きにひっくり返してみないと気が済まないようで…。柿の葉っぱこそ入っていませんが、ヘタはそのままです。つまり、柿丸ごと一個そのまま干して食べられるということ。豪華ですねー。
そのお味の方は…食感はモチモチです。和菓子を食べているような感覚を覚えます。しかも、とても甘くて柿の甘さを凝縮したよう。まさか、これが干し柿だとは思いもよりません。和菓子と言って出されても気づけないかもしれません。絶品です。
これを食べると柿に対する感じ方が大きく変わるかもしれません。ぜひ、奈良に行かれた際にはご購入を。
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鉄道ファン的「博物館明治村」攻略法 ~久しぶりに出かけるなら絶対ここ! ~
はじめに
外出自粛が続くと毎日が同じ生活が続いてしまい退屈な日々を過ごしています。私のような旅行を趣味の対象としている人には苦痛で仕方ありません。そんな毎日を過ごしていたわけですが、5月14日に39県で、5月21日に大阪、神戸、京都で、そして25日には全国で緊急事態宣言が解除されました。6月1日からは再開を予定しているところ施設が多数見られるなど、少し日常が取り戻すことできそうです。しかし、北九州や北海道では再び感染者数の増加が見られるなど予断を許さない状況でもあります。新しい生活様式を取り入れ、しっかりと新型コロナウイルス感染防止対策を講じつつ、6月からは再び外出できればなと思います。
本ブログでは「久しぶりに出かけるなら絶対ここ!」企画として、過去に私が訪問したなかで、久しぶりのお出かけ先として読者の皆様におすすめしたい観光地や観光施設を紹介したいと思います。また、それぞれの施設で取り組まれている新型コロナウイルス防止対策についてホームページからの情報となりますが紹介していきたいと思います。皆様の久しぶりのお出かけが素敵なものになりますよう本ブログが助けになれば幸いです。
目次
- はじめに
- 博物館明治村ってどんなとこ?
- 明治時代の鉄道に乗ってみたい!「陸蒸気」に乗ろう
- 日本最古の営業用の電車、京都市電
- 明治村に保存されているそのほかの鉄道車両
- まるで旅行気分!博物館明治村
- 博物館明治村の基本情報
- 博物館明治村の新型コロナウイルス対策
※掲載の写真は私が2017年に訪問した際に撮影したものになります。見にくい点があるかもしれませんが ご了承ください。
博物館明治村ってどんなとこ?
さて、今回ご紹介するのは愛知県犬山市にある「博物館明治村」です。明治時代をコンセプトとした野外博物館、またはテーマパークとして知られています。歴史的建造物の多さや日本のテーマパークで第三位の敷地面積を誇るほどの広大さからドラマ撮影やアニメのモチーフとしても使われています。
第二次世界大戦後、急速な経済発展の陰で失われつつある明治時代の建築物の歴史上にも文化芸術上にも価値があるものを末永く保つために財団設立を構想したのが「明治村」の発端です。
価値ある建物は元の場所でそのまま保存することがベストですが、土地開発の妨げとなるため移設しほぞんしていくための施設として1962年に財団法人が設立されました。名鉄が用地の寄付をはじめ財政面で全面的に援助し、1965年3月18日に犬山市の入鹿池のほとりにオープンしました。
移設された施設は67件(鉄道車両も含む)で、うち11件(14棟)が重要文化財に登録されており、そのほかの建物でもほとんどが登録有形文化財に指定されています。
明治時代の鉄道に乗ってみたい!「陸蒸気」に乗ろう
1872年10月14日新橋ー横浜間に鉄道が開業し、日本の鉄道網が今日まで発展してきました。今ではコンピュータによる制御を多用した運行スタイルがとられていますが、もちろん黎明期の日本では手作業による運行が行われていました。明治村はそんな頃の鉄道を楽しむことができる数少ない施設でもあります。
明治村の「なごや」駅と「とうきゃう」駅の約800メートルを5分かけて連日運行しています。村内の移動手段としての役割も担っていることが特徴です。
陸蒸気による旅を楽しんでみよう
私は「とうきゃう」駅から「なごや」駅まで利用しましたのでその時の様子をお伝えしたいと思います。
実際の鉄道と同じように発車時刻が決まっていますので、それまでに駅に行っておくことが必要です。一本逃すと30分後…となりますので注意が必要です。また、蒸気機関車の運行は木・金・土・日曜日の週に4日間だけですので、訪問日を決める際にはこのことも念頭に入れておかなければなりません。
駅に行くとホーム向かって右側の緑の中から蒸気機関車列車がやってきました。古典的で小型の蒸気機関車の後ろにはマッチ箱のような小さな客車が3両連結されています。
ここでは保存運転に使用される車両たちを詳しく見ていきましょう。
明治村で活躍する蒸気機関車たち
明治村での保存運転に使用されている蒸気機関車は2両あります。私が訪れた際には「9号」が使用されていました。
蒸気機関車9号は1912年に米国ボールドウィン社にて製造され、1913年より富士身延鉄道にて富士-大宮町(現:富士宮)間において使用されました。1936年、日本鋼管鶴見製鉄所(現在のJFEエンジニアリング鶴見事業所)に移籍・使用した後、1973年、明治村に譲渡されました。登場から100年以上が経過した今でも毎日訪れる沢山のお客様を載せて活躍しています。また、9号には「ジョージ9(ナイン)」の愛称が与えられています。
蒸気機関車12号というもう1両の蒸気機関車は1874年にイギリスから輸入され、新橋ー横浜間で使用されました。その後、尾西鉄道という名鉄の前身のひとつにあたる会社に譲渡され活躍し、名鉄(名古屋鉄道)合併後も使用されましたが、明治村で蒸気機関車の保存運転が行われることになり、名鉄のグループ企業であるこの明治村にやってきたようです。鉄道省時代は23号→165号、尾西鉄道→名古屋鉄道では12号の車両番号が与えられていました。
毎日2両のうちどちらかが保存運転に使用されていますが、予備として使用していない方の車両は屋根のある車庫の中に留め置かれていました。残念ながら、車庫まで近づけないので、12号について撮影することはできませんでした。
客車も明治期の物を使用
明治村で使用されている客車は3両あり、そのうちハフ11は青梅鉄道で「メ4」として使われた後、山形県の高畠鉄道に譲渡され「ハ2」となり、さらに秋田県の雄勝鉄道で「ハフ11」として使用されました。また、ハフ13・14は新宮鉄道で使用され、同鉄道の国有化に伴い鉄道省の所属に、その後ハフ11と同様雄勝鉄道に移り、「ハフ13・14」となりました。
写真の真ん中の車両がハフ11で右がハフ14、左がハフ13になります。ハフ11のみ車体の構造が大きく違うことが見て取れます。
車内にはまっすぐなロングシートが並びます。車体の狭さもあってか路面電車のような雰囲気です。ハフ13・14の2両はダブルルーフ構造という二重屋根構造になっていて上側の屋根と下側の屋根の間には明り取り用の小窓があります。
ハフ13・14には写真のようにオープンデッキがあり、そこから乗り込むことになります。ハフ11はデッキから乗り込むタイプではなく、一般的な車体側面にドアがあるタイプです。
そういえば、先日取り上げました加悦SL広場で保存していた客車と似た構造をしていますね。
miyakoji-cityliner.hatenablog.com
ぜひとも加悦鉄道の客車と比較してみてください。
両者とも、明治・大正時代に製造された車両なわけですから似ているのも当然なのかもしれません。しかし、これは技術力がまだ未熟であり欧米から輸入した技術をそのまま使用していたからオリジナリティある車両を作ることが出来なかったのか、客車をなるべく共通化することに意味があったのか、どちらかであろうことが推測されます。
蒸気機関車の位置を変える「機回し」を見学
終着駅に着いた列車は向きを変えて反対方向に走り出すことになるので、機関車の位置を変える「機回し」という作業をしなければなりません。この「機回し」という作業は客車で運転される列車には編成の前後に機関車を連結しない限り、必要不可欠な作業となります。この作業はブルートレイン(寝台列車の大半)は客車列車で運転されていましたので比較的最近まで見ることが出来ました。しかし、蒸気機関車は向きが決まっていますので蒸気機関車の向きを変える作業も必要をなってきます。この「機回し」の作業を動画で解説いたしましたのでそちらをご覧ください。
出発進行!
東京駅を発車しました。隣のなごやまで0里5分の旅です。ちなみに私は5分というのがどれぐらいなのかは分かりませんが…コトコトと走り出しました。今の鉄道と比べるとその速度はかなり遅いですが、想像以上の爆速っぷりでした。遊園地の乗り物と違い実際にお客様を運んでいたわけですから、それぐらいの速度が出て当たり前と言えば当たり前です。客車の構造が簡素なためか現代の車両に比べて乗り心地は悪いですが、走っているということをしっかりと感じさせてくれるので「お客様を運ぶ」という鉄道本来の姿を楽しむにはもってこいの列車です。
運賃は大人500円、子供300円。子供は大人の半額…というわけではないようです。800メートル5分ではちょっと高すぎるような気もしますが、明治生まれの客車を明治生まれの蒸気機関車がけん引するという世界でも類を見ないことをやってのけているわけですから、維持のためにそれだけの運賃がかかって当たり前でしょう。保存運転はお客様を楽しませるだけではなく、文化財の保護と文化の継承というまた別の大きな目的もあります。
また、後述する市電と共通の一日券は大人800円、子供500円、村内を走る村営バスと市電との共通券は大人1300円、子供800円です。市電との共通券は市電と一回ずつ乗車するだけで元が取れるので、圧倒的にこちらの方がお得です。
私は一番前に座ることが出来ましたので、蒸気機関車の走りっぷりを楽しむことが出来ました。名古屋駅までの道のりは新緑のトンネルの中を駆け抜けるので、窓からは心地よいい風が入ってきます。もちろん客車は非冷房。冬場以外は窓を全開にして走ります。
客車内は今の鉄道車両に比べるとかなり暗いですが、反対にそれが良い趣を出してくれています。
名古屋駅に到着
名古屋駅に到着するとすぐに機関車を切り離し、機回しの作業が始まります。
記念撮影の時間はあまりないので、東京駅の発車までの時間に済ませておくのが良いと思います。
切り離した後、転車台の方まで進んでいき転車台で方向転換します。転車台の動力は人力ですので、二人がかりで転車台を回します。
なごや駅の転車台は盛り土の上にあるので近くに行くことはできません。見学するならとうきゃう駅の転車台になります。
日本最古の営業用の電車、京都市電
明治村には日本最古の営業用の電車である「京都市電」の保存運転も行われています。
1881年にドイツで世界で初めての電車の運転が開始されましたが、遅れること14年。ついに日本でも電車の運転が始まりました。
京都では水運のために大津から京都市内まで「琵琶湖疎水」を建設しました。京都市ではその水流を利用して水力発電を始めました。第4回内国勧業博覧会が1895年に京都で開催されることが決定し1893年に電気鉄道敷設許可が下り、1895年に開業することができたのでした。当時の発電設備は水力発電だけだったので、水力発電や琵琶湖疎水の設備のメンテナンスや修理を行う際は運休を余儀なくされたようです。
ちなみに日本で最初に電車が走ったのは1892年に東京・上野で開催された第3回内国勧業博覧会の会場内でした。そのため、京都電気鉄道は日本で初めての営業用の電車として知られるようになったのです。京都電気鉄道は京都駅近くから伏見までの約6.4㎞で開業し、岡崎公園で開催された第4回内国勧業博覧会の会場への「足」として活躍することになつたのです。
京都市電に乗ってみよう
明治村で保存運転されている京都市電は村内中央の市電名古屋駅から市電京都七条(明治村のメインストリート付近)を経由して入鹿池近くの市電品川燈台駅までを結んでいます。市電名古屋駅はSL名古屋駅の坂の下にあるので乗り換えることが可能です。
市電名古屋駅には予備の車両が置かれていましたので、記念撮影はそちらの方が撮りやすいと思います。
私は蒸気機関車列車で名古屋駅に着いた後、坂を下って京都市電に乗り換えることにしました。市電の発車時刻も決まっており、30分間隔で運転されています。SLとの接続も考慮されているようで、名古屋駅に着くとすぐに京都市電がやってきました。
発車準備が完了するとすぐに発車となります。乗車時間は10分ほどです。
運賃は蒸気機関車とSLと同じく大人500円、子供300円。子供は大人の半額…というわけではないようです。また、SLとの共通の一日券は大人800円、子供500円、村内を走る村営バスとSLとの共通券は大人1300円、子供800円です。SLとの共通券はSLと京都市電を一回ずつ乗車するだけで元が取れるので、圧倒的にこちらの方がお得です。
市電名古屋を発車するとしばらく新緑の中を駆け抜けていきます。SLよりかは速度が遅く、1ノッチしか動力を入れないのでそこまで早くはありません。ですが、100年以上使われているモーターの力強い走りは今でも健在です。
中間駅の市電京都七条駅付近で少しだけ道路を走ることになります。
京都電気鉄道は開業後、急いで「電気鉄道取締規則」が作られましたが、当時は馬車ぐらいしか町中にはなく、電車が走ることによって道行く人との接触事故が発生する危険性があったので、電車には告知人が置かれることになり「先走り」が誕生しました。彼らは12歳から15歳までの少年で、通行人に危険な箇所があると運転台から飛び降りて電車の先を走り注意を促しました。夜間には堤燈を持って走るなど重労働の上危険なため、すぐに廃止されました。
開業後路線も拡張され、街を行きかう人々に親しまれた京都電気鉄道の市電は、市営電車の敷設に伴い、全面的に市に買収されました。ただし、京都市によって建設された路線の線路幅は1435mmと京都電気鉄道の線路幅1067mmよりも1.5倍ほど広かったので、線路幅を広げる工事が行われ、大型車が走るようになりました。ただし、京都駅から北野天満宮までを結ぶ北野線の改軌工事は見送られ、N電(NはNarrowのN)と呼ばれ京都で電車が走り始めたころの様子を廃線まで見ることができました。
市電京都七条駅を発車しすると入鹿池近くの市電品川燈台駅に着きます。
京都市電は電車なので方向転換のための入れ換え作業は必要ありませんが、トロリポールという集電装置の向きを変える作業が必要になります。
写真はトロリポールを回転させている様子で、トロリポールが架線から離れている様子がよくわかります。
明治村に保存されているそのほかの鉄道車両
明治村にはSLと京都市電のほかにも鉄道車両が保管されています。
鉄道局新橋工場と明治天皇・昭憲皇太后御料車(鉄道記念物)
鉄道開業後、客車・機関車の国産化が進められました。それと同時に鉄道施設の国産化も行われました。1889年に建てられたこの鉄道局新橋工場は、日本で製作された鋳鉄柱、小屋組鉄トラス、鉄製下見板、サッシ等を組み立てたもので、屋根は銅板で葺かれています。イギリスから資材一切を輸入して造られた鉄道寮新橋工場に倣って、フィート・インチを設計寸法として造られていますが、国産鉄造建築物の初期の実例として、当時の我が国の技術水準を知る上でも貴重なものです。
工場内に保存される明治天皇・昭憲皇太后御料車
5号御料車は最初の皇后用御料車として製作された車輌です。全長16m余、総重量約22tの木製2軸ボギー車で、車内には帝室技芸員の橋本雅邦・川端玉章が描いた天井画、昭憲皇太后のご実家一条家の家紋の藤をあしらった布が椅子や腰張りに使用されているなど、華麗な内装がなされています。
6号御料車は明治時代に製造された6両の御料車のうち一番最後のものです。車輌の全長は20m余、総重量約33.5tの木製3軸ボギー車です。この車輌は歴代の御料車の中でもっとも豪華な車輌といわれ、車内天井に張られた蜀江錦、御座所内の金糸の刺繍や七宝装飾、また螺鈿装飾、木画といわれる木象嵌など日本の伝統的な工芸技術の粋を集めたものといえます。
なお、この6号御料車は5号御料車とともに鉄道記念物に指定されています。
一般的な鉄道車両は一つの台車に2つ車輪がついた2軸ボギー台車ですが、御料車は乗り心地をよくするために3つ車輪を付けた3軸ボギー台車を採用しています。
これらの車両が保管されている線路も特徴があり、鉄道初期でしか見られなかった双頭レールが使用されています。レールは使用すると摩擦ですり減るので交換が必要になります。そこですり減ったレールを裏返すと再び新品のレールとして使用できるようにするという優れものです。しかし、片面を使用するとすり減りが早く反対に向けるとレールの高さが低くなってしまうことから実際に反対に向けて使用されることはなく、現在のように片面のレールが今日まで受け継がれているというわけです。
尾西鉄道蒸気機関車1号と六郷川鉄橋
尾西鉄道(名鉄の前身)が開業するにあたり、アメリカのブルックス社から購入した機関車です。形式は2B1とよばれる前輪2軸、動輪2軸、従輪1軸のタンク式です。尾西鉄道と名古屋鉄道が合併した際、この車両は名古屋鉄道の所有になり、その後新潟県の信越線二本木駅に隣接する日本曹達株式会社内の工場専用機として入替作業に従事していました。
この蒸気機関車1号は六郷川鉄橋と合わせて展示されており、日本で最初に鉄道が開通の後、複線化の計画と共に鉄橋への架け替えが進められ、日本最初の複線用鉄橋として、この橋が完成しました。開通式は、時の工部卿伊藤博文も出席して、盛大に行われたと伝えられています。
橋の全長は約500mで、本橋と避溢橋からなり、本橋部に長さ100feet(約30m)の錬鉄製トラス桁(ポニー・ワーレン型)六連が使われていました。当時のお雇い外人、土木技師ボイル(英人)の設計したもので、1875年英国リバプールのハミルトンズ・ウインザー・アイアンワークス社で製作され、輸入されたものになります。
名電1号形
明治34年に製造され、明治40年まで名古屋電気鉄道において、市電車両 として使用されていた26人乗りの木製電車です。その後、札幌電気軌道が同車両を購入し、大正7年に札幌初の路面電車「29号」として使用を開始ました。昭和2年より札幌市が市電として譲り受け、昭和11年頃まで札幌市民の足として親しまれました。
まるで旅行気分!博物館明治村
もちろん明治村には鉄道に関連するもの以外にも沢山の貴重な文化財が保存されています。
日本各地で活躍していた文化財の数々がここに集められているので、まるで旅行に行った気分になります。ゆっくりと一つ一つ展示物を見ていると丸一日かかってしまいます。長らく、外出自粛で家にいたお出かけ先としてもってこいの場所ということです。
時空を超えて明治時代の文化に触れあい、日本中を旅することが出来る博物館明治村。久しぶりのお出かけにいかがでしょうか。
博物館明治村の基本情報
名称 | 博物館明治村 |
所在地 | 愛知県犬山市字内山1番地 |
電話番号 | 0568-67-0314 |
休村日 | HPで要確認 |
開村時間 | 時期によって変動・HP要確認 |
料金 | https://www.meijimura.com/guide/price/ |
駐車場 | あり※有料 |
アクセス | 京都丹後鉄道与謝野駅駅舎内 |
HPアドレス |
博物館明治村の新型コロナウイルス対策
※公式ホームページより引用
〇全スタッフが、出勤前に検温等の体調管理を徹底いたします。
〇全スタッフが、接客中はマスクを着用いたします。ただし、熱中症予防の観点から、屋外で
の作業(接客時を除く)は、マスクを外して実施いたします。
〇村内全職場にアルコール消毒液を設置し、勤務中のこまめな手指の消毒を実施いたします。
〇村内の展示建造物は窓を開放し、十分な換気を行います。
〇飲食・物販店舗等のレジ付近に、飛沫防止用のシートを設置いたします。
〇飲食・物販店舗等における金銭の受け渡し時には、トレーを使用させていただきます。
〇飲食店舗の座席数を通常時より減らして営業させていただきます。
〇SL・市電は、乗車人員を制限して運行させていただきます。なお、運行中は窓を開放して客車内の十分な換気を実施いたします。
〇村営バスは、当面の間、運行を休止させていただきます。
〇村内の店舗は、換気設備を常時稼働させるとともに、定期的に窓・扉の開放を行い、十分な換気を実施いたします。
〇混雑状況により、ご入村や展示建造物のご見学を制限させていただきます。
〇感染症の集団発生を防ぐ観点から、一部の催事・展示を中止・延期いたします。
【天橋立駅で発見】丹後七姫サイダー
暑くなってきましたね。サイダーが似合う季節が近づいてきたという証拠です。
緊急事態宣言が解除されたので、今後少しずつ外出する機会も増えてくると思います。一気に外出し始めると第二波、第三波と続いてしまう恐れがありますが、近場のお出かけなら緩和されてきています。どこまでが近場というのか...というのは曖昧ですが、旅行に出かけられるようになった際のためにお土産レビューをやっていきたいと思います。
今回ご紹介するのもご当地サイダーの一つである「丹後七姫サイダー」です。
丹後七姫というのは京都府北部、丹後地方の伝承に登場する代表的な7人の姫君の総称です。乙姫(伊根町)、羽衣天女(京丹後市)、静御前(同)、細川ガラシャ(同)、小野小町(伊根町)、間人皇后(同)、安寿姫(舞鶴市・宮津市)の7姫をさし、それぞれに縁の場所や史跡が伝えられています。安寿姫のかわりに川上摩須郎女(京丹後市)を含めると、「京丹後七姫」となるようです。
それぞれの詳しい姫君については…お調べください。一人ずつ調べていると日が暮れてしまいそうです。ちなみに、丹後は浦島太郎伝説発祥の地として知られています。
さて、お味の方は…塩サイダーのように特別な丹後地方の味を感じるわけではありませんが、昔懐かしい少し刺激が強めなサイダーの味を楽しむことができます。
私はこのサイダーを帰り道に天橋立駅の売店で発見しました。お帰りの際には、天橋立駅でぜひ購入し丹後の思い出とともに列車の中で飲むのも良し、持ち帰るのも良し、それぞれでお楽しみください。
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