鉄道ファンが行くお出かけ雑記

鉄道ファンが旅行の魅力を紹介します!

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近鉄の観光特急「しまかぜ」に乗ってきた 2020/11/22-23 伊勢志摩 特別編集版

 4面4線のホームを有する近鉄京都駅。新幹線の改札口の向かいに設けられた改札口を入ると京都駅を発着する近鉄の車両たちが目に入る。京都駅は小規模ながらも頭端式でターミナル駅の雰囲気を十分に持ち合わせている。

 近鉄特急と言えばオレンジに紺色の帯、正確にはアスカオレンジにネイビーブルーの帯をまとった姿を連想するが、近年、クリスタルホワイトをベースにブライトイエローとゴールドを加えた新塗装への塗り替えが進み、旧塗装を維持しているのは2021年の春で引退を予定している12200系のみとなっている。

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12200系電車

 そんな近鉄特急の中に、一風変わった、どちらかと言えば青い特急車両が存在する。それが50000系「しまかぜ」である。

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50000系電車「しまかぜ」

 京都駅には9:35ごろに入線。10:00発車であるからかなり余裕を持った入線である。

 入線後すぐ車内に入ることはできないので、「しまかぜ」の乗客たちは写真を撮ったりしてそのひとときを過ごす。

 

 発車の10分前になったころであろうか、ドアが開き乗客は車内に乗り込んでいく。私もそのなかに紛れて乗り込む。

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しまかぜの車内

 私が指定されたのは6号車1Bと1C。同行者と2人での乗車だ。席番からも分かる通り、編成の一番後ろの座席である。本当は前面展望狙いで一番前の座席を確保したかったところだが、1ヶ月前の切符の発売に合わせて並んでも押さえることができず、第二希望の一番後ろとなった。それでも座席を回転させることで流れゆく車窓を楽しむことが出来る。

 座席の回転についてだが、一般的なペダルを踏んで回転させる方式ではなく、座席後部にあるボタンを押してから手動で回転させる仕組みになっている。

 

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しまかぜのプレミアムシート

 座席は電動のリクライニングシートで、スイッチはヒジ置きの下についている。また、電動のレッグレストも装備されているので、リクライニングを全開にしレッグレストも使うとまるでソファに座っているような感触だ。背もたれには硬さを調節できるランバーサポートがついている。このランバーサポートにはリズムがついているので、まるでマッサージチェアとしての役割もある。

 シートピッチ、シートの間隔ともに私が感じた中では過去最高の広さだ。本当に贅沢な気分だ。

 

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運転台

 私は一番後ろの座席となったが、一番前に座れば運転士がしまかぜを運転する様子も合わせて楽しむことができる。機会があればぜひ一番前にも座ってみたいものだ。

 


しまかぜ 背面展望 近鉄京都駅発車風景

 発車すると更にしまかぜのプレミアムシートの凄さが感じられる。眺望に優れた前面窓から流れる景色を楽しみながら、超快適なプレミアムシートに座ることができるのはなんと贅沢なのだろうか。台車にはフルアクティブサスペンションが装備されている。本当に電車に乗っているのか疑ってしまうほど揺れない。快適な椅子に座りながら、録画された景色の映像を見ているようだ。

 


しまかぜ 背面展望 澱川橋梁を渡る

 流れる景色も普段よく乗る近鉄京都線の景色。京都駅の頭端式のホームが後ろへ流れていく光景、高架を走る風景、駅を通過する風景、鉄橋を渡る風景などなど...。なじみのある景色だが、しまかぜの車内から見るとまたそれが違ってみえる。目線が違うというのもあるが、しまかぜの快適な車内から見るというのは、いつもに増して素晴らしいように思えてくる。

 

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しまかぜ特製のおしぼりと乗車記念証

 発車してしばらくすると車内販売などを担当する女性乗務員からおしぼりと乗車記念証が渡された。おしぼりはほかほかである。近鉄特急と言えばおしぼりサービスをイメージされる方も多いと思うが、その文化はしまかぜにしっかりと引き継がれているようだ。

 記念乗車証は2020年限定の物。毎年乗車していると毎年異なるデザインの記念乗車証がもらえる。

 

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裏面には乗車日の入ったスタンプが押される

 コロナ対策の関係からか乗車記念スタンプは既に押されているものが渡された。

 

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エスサイダー

 車内販売ではしまかぜ限定のお土産や伊勢名物の赤福、コーヒーなどのドリンクなどを購入することができる。車内販売が減少する今、車内販売を提供しているというのは大変貴重な存在である。近鉄特急の伝統と新しい革新の文化。それをうまく融合して近鉄特急らしいような、らしくないような新しいけど馴染のある特急に仕上がっているような気がする。

 ちなみに私はご当地サイダーをたくさん飲んでいるからか、迷いなくサイダーを注文した。

 


しまかぜ 背面展望 大和西大寺駅

 そんなこんなしているうちに列車は京都線の終点、大和西大寺駅に到着。大和西大寺駅と言えば、奈良線京都線橿原線の三つの路線が集まる近鉄でも有数の拠点駅であり、また西大寺検車区に出入りする線路もあることから複雑な線路配置になっていることも特徴だ。しまかぜの後ろ側の大きな窓からはそんな複雑に転線していく様子を臨場感たっぷりに楽しんだ。

 


しまかぜ 背面展望 新ノ口短絡線

 大和西大寺駅からは橿原線となる。橿原神宮前へ至る路線だ。途中の新ノ口駅で新ノ口短絡線へと分岐していく。この新ノ口短絡線は京伊特急(京都と伊勢方面を結ぶ特急)などでしか通過することができない貴重な路線だ。全線が単線で住宅街の中をゆっくりと走行する。カーブも多く、京都線橿原線とはまた違ったテイストが魅力だ。

 

 新ノ口短絡線を抜けると大阪線と合流し、大和八木駅に到着。大和八木駅には数分後に大阪難波発のしまかぜもやってくるので、乗り間違えに注意するような案内がされていた。それもそのはず、大和八木駅を出ると次は伊勢市まで停車しないからだ。しかも、座席は満席。乗り間違えると折角しまかぜの指定席を確保したのにもかかわらず、伊勢市まで立ちっぱなしということになってしまう。

 

 大阪線に入ると、風景が一変する。しばらくは高架線を走行しているが、少しずつ山間部へ。近鉄で最急勾配の33.3‰がある区間や青山トンネルを抜けると、そこはもう三重県の伊勢地方ということになる。このあたりでは京都線橿原線とはまた違う高速での走りを体感することができる。

 

 伊勢中川から山田線に乗り入れる。しばらくすると伊勢市、宇治山田と到着する。この頃になるとカフェカーが空いているのではと思い、昼食を取るためカフェカーに移動した。

 しまかぜの利用客は一番大和八木と伊勢市の間が一番混雑する。そのため、カフェカーの利用客も多く席に座るために並ばないといけないのではと考え、伊勢市発車後にカフェカーに行くこととした。実際、乗車前にブログなどで確認してみるとカフェカーが混雑していたので並ばなければならなかったという記事をいくつか拝見した。自分の座席は超快適なプレミアムシート。カフェカーのために並んでいては勿体ない。極力ならばないようにするためにはと考え、このタイミングを選択した。実際、この選択は正しく、カフェカーはかなり空いていた。自分たち以外に2組ほどの利用があっただけだった。コロナ禍の今、感染症対策で座席の数が減らされていたので、いつもに増して混雑が激しくなっていたことだろう。そこで、混雑を避けたタイミングでのカフェカー利用と言うのは必要不可欠である。ただし、ラストオーダーの時間が決められているので注意しておくこと。

 ちなみに個室ではカフェカーで提供される食事をカフェカーに行かなくても食べることができるほか、「海の幸ピラフ」はプラスチック製容器に入れてもらうことで座席に持ち帰って食べることもできるようだ。

 

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海の幸ピラフ

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松坂牛御膳

 カフェカーにて海の幸ピラフと松坂牛御膳を注文し、同行者と分け合った(同行者というのは家族)。特に海の幸ピラフは大人気メニューで我々の注文で売り切れたようだ。それもそのはず、伊勢名物の伊勢エビなど伊勢で捕れた海産物をふんだんに使用している。一方の松坂牛御膳は松阪牛を使用した牛丼だが、そのお肉の柔らかさと味は今でも思い出すとよだれが出てきそうである。

 現在ではほぼ消滅してしまったと言っても良い食堂車、近鉄ではスナックコーナーと呼んでいたようだが、かつては一般的だったものが消滅により観光特急での非日常として味わうことができる。おしぼりにしてもしかり、近鉄らしさと新しさがうまい具合に調和している気がする。

 

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洋風個室

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和風個室

 カフェカーから戻る際、個室の方が既に下車されており、個室内を覗くことができた。個室はかなり人気が高く、3人以上で利用が可能となる。洋風個室と和風個室の二種類があるが、和風個室の方が人気が高いのだとか。

 

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サロン席

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サロン席

 サロン席も設置されている。欧州の列車のような雰囲気のコンパートメントタイプの座席となる。このサロン席は4人以上で利用でき、個室料金などは不要なので大人数での旅行の際は特に便利だ。

 

 さて、列車の方は宇治山田駅から鳥羽線に入る。鳥羽線は歴史的経緯から近鉄の中でも比較的新しい路線であり、比較的高速での運転が可能である。丁度、食事が終わるころには鳥羽線の終点の鳥羽駅に到着した。

 鳥羽駅からは志摩線となる。鳥羽駅を発車後、鳥羽水族館ミキモト真珠島が横目に見える。志摩線の方は戦前からの路線を引き継いだという歴史的経緯から至る所に急勾配や急カーブがある。高速走行していた鳥羽線とは大きく異なった雰囲気の路線となる。志摩スペイン村最寄りの鵜方に着くと次は終点の賢島に到着する。

 京都駅から賢島まで約2時間半。車内でくつろぎ、流れゆく景色を眺め、カフェカーで食事をする。本当にあっという間の時間だった。座っていたプレミアムシートはかなり快適でいつまでも座っていたいと思わせてくれるような座席だった。私自身、これまで様々な列車に乗ってきたと思うが、快適さに関しては私がこれまでに乗車した中で一番だと思う。と言いつつも、グリーン車の乗車経験はそこまでないし、グランクラスも乗ったことがないので、貧乏旅が中心の私は比較するデータが少なすぎるようなきもするが…。

 

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株主優待

 加えて、しまかぜの特急料金は安いという点があげられる。近鉄そのものの特急料金が安いということもあり、京都から賢島まで運賃を加えて5680円で利用することができる。ちなみに私は近鉄の株主の沿線招待乗車券を利用したので、実際は更に安く利用している。

 

 観光特急しまかぜ。近鉄の伝統と新しさが上手くミックスされており、近鉄特急史上最高の旅を楽しむことができる。今後のしまかぜの活躍と近鉄特急の躍進に期待したい。

 

※この記事は試験的にいつもとは異なり日記調で書きました。好評であれば、今後の方針として日記調で書いていくことも検討しております。なお、「しまかぜ」に関する記事は従来と同じ書き方で書いた記事も公開することを予定しております。

【島根】一日で松江市内をぐるっと観光する! 2020/8/5-7 島根⑤

松江市は山陰地方で最大の町で、島根県の県庁所在地でもあります。松江市のシンボルである松江城は全国に12城しか残っていない現存天守の1つです。また、宍道湖や中海が連なり、更には川が町中を流れるという水景が優れた町としても知られており、「水の都」と呼ばれることもあります。

町の中心には松江城があり、松江城を中心に観光すると松江の美しい町並みを楽しむことができます。

 

目次

 

松江は各地からのアクセスが良好

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松江駅に乗り入れる「サンライズ出雲

観光の拠点となる松江駅には岡山駅を発着する「やくも」のほかに山陰地方を走る「スーパーまつかぜ」「スーパーおき」、更には東京駅から直通する夜行列車の「サンライズ出雲」など数々の特急列車が乗り入れます。また、今年の9月から運行を開始した「WEST EXPRESS 銀河」も乗り入れるなど、各地からのアクセスは意外と便利です。

 

松江市内の観光には「ぐるっと松江レイクラインバス」が便利

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ぐるっと松江レイクライン

松江駅から松江城があるエリアへは少し距離があり、また観光スポットを移動するのにも便利なのが松江市営交通局が運行する「ぐるっと松江レイクライン」。運賃は均一210円ですが、520円で一日中乗り放題になる一日乗車券もあります。

バスは写真のようなレトロ調のものが使われています。

 

国宝に指定されている松江城天守を見学

 

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松江城天守

松江城は江戸時代、松江藩の政庁として出雲地方の経済活動の中心でした。山陰地方唯一の現存天守であり、国宝指定されている5城のうちのひとつとしても知られています。明治初頭には廃城令により解体する予定でしたが、地元の有志によって天守が買い戻され、解体を免れることとなりました。

 

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堀尾吉晴

天守の入り口には松江城を建造した堀尾吉晴公の像があります。1607年に築城が開始され1911年には落城していたとされています。

ちなみに1638年に松平直政が入城していますが、この松平直政松江藩主になる前は松本藩主であったということで、松本城とも関連があるんですね。私は武将は専門外なので…間違っていたらゴメンナサイ

このブログでも松本城について紹介していますので、合わせてご覧ください。

miyakoji-cityliner.hatenablog.com

 

松江城内部の見どころ

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松江城の鯱は左右で大きさが違うが大きいほう(俗に雄)は2.08mあって現存する木造の鯱の中では一番大きいそうです。天守を見学する際は地階から入るのですが、入ってすぐのところにあります。

 

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松江城の築城年の記された祈祷札

2012年に再発見された、松江城の築城年の記された祈祷札で、「慶長拾六年」の記載があり、松江城天守の完成時期を示す貴重な一次資料となり、この祈祷札の発見が国宝指定につながりました。天守地階の柱に掲げられていたことが判明しました。写真は天守内に展示されているレプリカです。

 

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井戸

お城の中に井戸があるのはかなり珍しいのだとか。こちらも入ってすぐのところにあるのでお見逃しなく。

 

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階段と通し柱

階段は桐が使われています。また、戸締まりのための管理用、あるいは籠城用のものと考えられている引き戸があります。

松江城を築城していたころには日本全国で多くの城が同時に築城されていたことから、木材が不足していました。中心の大きな柱に使えるような木材は手に入らなかったので、心柱を使わない2階分の短い通し柱を配置して天守を支える構造となっています。写真左の柱は下の階に繋がっていませんが、右奥の柱は下の階に繋がっていることがわかります。この2階分の短い柱のことを通し柱というそうです。

 

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包板

天守を支える柱には、一面だけ、あるいは二面、三面、四面に板を張って鎹(かすがい)や鉄輪(かなわ)で留められている物があります。この柱を覆う板を「包板(つつみいた)」と呼びます。天守にある総数308本の柱のうち130本に施してあり、割れ隠しなど不良材の体裁を整えるためのものと考えられています。

 

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箱便所

4階には西側大破風の内側を利用して藩主用の箱便所がおかれていたといわれています。天守内に便所が設けられていたのは珍しいといいます。

 

松江城の敷地内にある興雲閣

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興雲閣

興雲閣は、松江市松江市工芸品陳列所として1903年に9月に建設されました。 当初、明治天皇の行在所に使用する目的でつくられたため、装飾・彫刻を多く用いた華麗な仕上げになっています。

入場は無料ですので、松江城を見学する際には合わせて楽しむことができます。

www.matsue-castle.jp

 

松江城の基本情報

名称 松江城
天守入場時間 午前8時30分~午後6時30分(受付終了  午後6時)
※10月1日〜3月31日は午後5時まで(受付は午後4時30分まで)
本丸入場時間 午前7時~午後7時30分
※10月1日〜3月31日は午後5時まで
天守入場料 大人680円、小中学生290円
HPアドレス

国宝 松江城ホームページ (matsue-castle.jp)

 

松江城の周りをぐるっと一周 堀川めぐり遊覧船

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堀川めぐり遊覧船

松江城のお堀は内堀、外堀とともに大部分が埋め立てられず残っていますので、その堀を利用して遊覧船が運行されています。

船頭さんに案内してもらいながら城下町松江の風景を楽しむことができます。

 

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堀の至る所に橋がある

お堀ですので、堀の中と外をつなぐための橋が至るところにあります。もちろん、お堀は外部から城を守るために作られているので、船が通るという想定はされていません。そのため、橋がかなり低い位置にあることも。船が通過する余裕がない橋の下を通過するときは船の天井が下がります。

 

料金設定は1日券のみで大人1500円、子供(小学生)800円。1日中乗ったり降りたりすることができます。乗船場は3つあるので、松江市内の観光の足としても利用できます。

www.matsue-horikawameguri.jp

 

松江は妖怪小説で有名な小泉八雲由来の地

小泉八雲は怪談「耳なし芳一」や「雪女」の作者として有名であり、また松江は八雲が日本で一時期在住していた地で、小泉八雲の妻である小泉節子の出身地でもあります。

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小泉八雲が執筆する際に使った机

松江城の堀のそばに立つ小泉八雲旧居は一般に公開されており、小泉八雲が約5カ月間を過ごしたときのままの状態で保存されています。国の史跡にも指定されています。

 

また隣には小泉八雲記念館も併設されていますので、小泉八雲の生涯や作品について詳しく知ることができます。

小泉八雲という名前を知らない方でも、かなりの数の怪談小説を世に送り出していますので、一度は彼の作品に触れたことがあると思います。松江観光の際にはぜひ訪れておきたい観光スポットのひとつです。

www.matsue-castle.jp

www.hearn-museum-matsue.jp

 

武家屋敷のスタイルを今に伝える、松江城下の武家屋敷

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武家屋敷の内部

小泉八雲旧居などが立ち並ぶ塩見縄手には武家屋敷が保存されています。

武家屋敷とは主屋、長屋門・塀などからなる、江戸期の面影を今に伝えています。塩見縄手の由来となった塩見小兵衛も住んだとされています。

1733年の大火の後、再建されたもので、2016年には解体修理が行われています。

www.matsue-bukeyashiki.jp

 

まとめ

松江は松江城を中心とした城下町のスタイルを今に残す町として知られています。

天守閣が現存する松江城はもちろん、歴史や城下町の雰囲気を感じる町として是非訪れてみてください。

明けましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます

 

2021年が始まりました。昨年は本来オリンピックが開催されるはずであり、丁度1年前には誰がこんな状況になると予想できたでしょうか?もっとも、コロナ自体は1年前には既に武漢で流行していたわけで、このような世界的なパンデミックについては危惧することはできたわけですが、それでも対岸の火事ということで、まさかまさかの展開でした。日本での第1波流行時は段々と感染者数が減少していくと思われていましたが、第2波、第3波と更に感染者数が増加していき、今後の見通しが全く立たないという、どうしていけばいいのか全く見当がつかない状況に陥ってしまっています。医療現場が頻拍した状況に置かれているのは周知の事実ですが、感染症拡大防止のための自粛が求められ、様々な産業に大きな影響をもたらしています。

 

さて、正月早々からこのような暗い話題はさておき、この「鉄道ファンが行くお出かけ雑記」は昨年の3月より運営を開始しました。旅行ブログではありますが、旅行に関する様々なことにフォーカスし、また鉄道ファンの目線から鉄道と旅行の関りや鉄道を利用した旅行などの魅力を紹介していくブログを目指して開設しました。管理人が未だ学生であり、学業の方との両立との難しさもあり、自粛期間後は更新が月に1回程度とかなり少なめではありますが、楽しんでいただけていたら幸いです。

現在は私の旅行記を元に各観光地やそこへのアクセス列車を紹介することがベースとなっていますが、今後は私の考察などを含めながら、唯一無二のブログができていければなと思います。

 

最後になりましたが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

【失敗談】観光地は早く閉まる。いくら神社でも閉まる時間がある。

過去にこんな記事を投稿しました。

miyakoji-cityliner.hatenablog.com

引退間近の近鉄12200系に乗ってきたという記事です。近鉄12200系は今でも刻々とその車両数を減らしつつあるので、早めの乗車をお勧めします。来年の春には完全に引退してしまうそうです。それはさておき、本題はそこじゃないんですね。

 

私は近鉄12200系の特急に乗車し近鉄奈良駅まで向かったというわけですが、それは何と言っても放課後。学校が終わってから近鉄12200系に乗りたいがために奈良へやってきたわけでした。夜も遅いので、JR奈良線に乗ってトンボ返り...と仕様と思いましたが、折角奈良に来たのだからそれは勿体ない、鹿でも見て帰ろうということになったのでした。

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奈良公園の鹿

奈良公園の鹿は767年の春日大社創建の際に、その由来で主神の武御雷命(たけみかづちのみこと)が鹿島神宮から遷る際に白鹿に乗ってきたとされ、以来、神の使いとして知られています。

 

そんな鹿を見ていると今度は春日大社へ行きたくなってきた!ということで春日大社へ足を運ぶことに。

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春日大社の一の鳥居

徒歩25分ほどで到着。ここから参道を歩いてご本殿に向かいます。

 

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参道

日没時間も過ぎていますし、参拝客もそこまで多くありません。少し心細い気分になりながらも、ご本殿へ向けて歩き続けます。

 

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萬葉植物園

萬葉植物園はもうすでに閉まっていましたが、私の目的はご本殿の参拝ですので、そんなの関係なし。歩き進めます。

 

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ご本殿までもうすぐ

明かりの見えるところがご本殿の入り口。あと少しです。

 

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ご本殿の前に到着

ご本殿まであと少し、というところですが鳥居の前に怪しげな看板が...

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「御本殿は閉門いたしました」

御本殿は閉門しましただって?進入禁止?!

いやいやもう、神社だから夜でも参拝できると思っていましたよ…とんだ間違いでした。折角ここまで30分以上かけて来たのに、後戻りですよ。参拝すらできずに。入ろうと思えば入れましたが、流石にそれはまずいので戻ることに。コロナの影響で普段より早く閉まるってね。

 

いくら神社でも閉まる時間があるんですね。知らなかった。それに観光地って大体日没してしまうと閉まってしまう施設が多いですよね。反省、猛反省です。春日大社はまたの機会にリベンジしましょう。奈良なんてすぐに行けますし。

 

 

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ところで帰り際に感じの良さそうな建物が参道沿いにあることを発見しました。そこで写真にパチリと収めておいたのですが、門の周りに木があるので全く感じが良さそうに撮れていませんね。これも反省、と言いたいところですが、この建物が何なのかご存じの方はコメントよろしくお願いします。

【30分に1本】大阪市内のローカル線、南海汐見橋線に乗ってきた 2020/9/28②

大阪のミナミの繁華街、難波と和歌山県を結ぶ南海電車和歌山市内へ至る本線と高野山へ至る高野線の二つの系統があります。前回、南海高野線を利用して高野山観光するという記事を投稿しましたが、そんな観光路線としての高野線とはまた異なった姿に迫ります。

 

まだ高野山観光の記事をご覧になっていない方はぜひご覧ください。

miyakoji-cityliner.hatenablog.com

 

目次

 

南海高野線の始発駅はなんばじゃない⁈

なんば駅。そこは南海電車ターミナル駅で、毎時沢山の列車が発車していきます。

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なんば駅を発着する「ラピート」

 

和歌山市内へ至る南海本線以外にも高野山方面への高野線の列車もこのなんば駅を発着します。

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南海高野線相互直通運転をする泉北高速鉄道の車両

 

ところが、南海高野線の始発駅は難波ではないことをご存じでしょうか?ここまで聞いて、南海のことに詳しい方なら南海本線高野線が分岐する岸里玉出駅なんじゃないの?と思われるかもしれませんが、それも不正解。でも、岸里玉出駅にヒントがあります。

 

岸里玉出駅を発着する汐見橋線

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岸里玉出駅汐見橋線ホーム

難波駅から約6分。南海本線から高野線が分岐する岸里玉出駅に到着します。ここからは高野線だけでなく、大阪市浪速区にある汐見橋駅に至る路線、通称汐見橋線が分岐しています。

通称としたのはこの路線の正式名称は高野線だから。ホーム上の番線表示を見ると緑色の高野線仕様の物です。

そう、この汐見橋線こそが、高野線の起点へ至る路線ということになります。

 

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汐見橋線で使用される2200系電車

汐見橋線で使用されるのは2200系電車。「天空」に使用される車両と同じ形式の車両になります。「天空」の方は大規模な改装工事が施されていますが…。

2200系電車について軽く復習しておくと、かつて高野山へ至る急行列車に使用されていた22000系電車を改造した車両。現在では2230系と共に支線区間で活躍している車両です。

 

9分で終点、汐見橋駅に到着

岸里玉出駅から汐見橋駅までの所要時間は9分。私が乗車したのは平日の夕方。黄昏時の大阪市内を会社帰りのサラリーマンたちを乗せて走ります。夕ラッシュの時間にあたる時間ですが、混雑と言った様子はなく椅子が大体埋まる程度。立客はいませんでした。大阪の下町の風景の中をゆったりと駆け抜けていきます。

 

高野山への玄関口であった汐見橋駅

汐見橋駅は1900年に高野鉄道が大小路駅(現在の堺東駅)から延伸した際の終着駅にあたる道頓堀駅として開業しました。1901年には汐見橋駅に改称され、それ以来120年に渡って汐見橋駅として人びとに利用されてきたわけです。高野鉄道は高野山への参拝を目的として建設された路線ですから、汐見橋駅高野山への玄関口ということになります。

ところが、この汐見橋駅に大きな変化が生じたのは1985年の大阪市の立体交差事業。立体交差事業の実施後は線路が分断されたため直接高野線本線に乗り入れることが不可能となり、それ以後高野線本線は難波駅から岸里玉出駅まで南海本線を経由して極楽橋に乗り入れる列車のみとなりました。このためこの汐見橋駅から岸里玉出駅までの区間運転の列車だけとなりました。

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汐見橋駅のプラットホーム

汐見橋駅のホームは1面2線の島式ホームですが、かつては貨物専用ヤードまであったとか。かつての繁栄ぶりを思わせます。現在の南海では貨物扱いは消滅しています。

 

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駅舎の外から

駅舎は日没後でしたのであまりよくみることができませんでしたが、鉄筋コンクリートの無機質な駅舎。高野山へのターミナル駅とは思えないほどの無機質っぷりですが、要所要所に古さを感じさせてくれます。

 

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駅舎内の様子

駅舎内の第一印象は屋根が想像以上に非常に高いということです。自動改札の上には昭和30年代の名所案内の地図がごく最近まで残っていたということですが、老朽化により撤去されてしまったということでした。

ターミナル駅だというだけあって、これから旅に行くぞという気分にさせてくれているように感じるのは私だけでしょうか?ま、このときは高野山からの帰り道でしたので、帰ってきたという安心感さえ与えてくれていたように感じたのですが。

 

今後どうなる⁉汐見橋線の未来

新大阪駅JR難波駅や南海の新今宮駅を結ぶ「なにわ筋線」計画での、構想当初の南海との接続駅はこの汐見橋駅の予定でした。それによると、汐見橋線木津川駅汐見橋駅間が地下化され、汐見橋駅の北側で東に曲がってなにわ筋の地下へ至ることになっていました。南海のターミナル駅として久々に活躍する未来に期待されましたが、接続駅が新今宮駅に変更されたことにより、汐見橋線自体の存続が危ぶまれています。しかし、2018年には南海側から廃止の計画はないとの発表があり、沿線の活性化も試みられていることから、汐見橋線の未来に注目していきたいですね。

 

大阪の下町の風景を今に残す汐見橋線。機会があればぜひ乗車してみてください。

 

南海で行く高野山の旅 2020/9/28

日本有数の宗教都市・霊場として知られる高野山への参詣に便利なのが南海高野線

近年では沿線のベッドタウン化が進み大阪への通勤・通学の足としても重宝されています。そんな南海高野線を利用して高野山へ行ってきましたので、紹介させていただきます。

 

目次

 

難波から快急高野山へ一気に駆け抜ける!

南海電車ターミナル駅である難波駅。大阪のミナミの中心として知られる難波から高野山への旅が始まります。

南海難波駅からは和歌山や関西空港へ向かう南海本線の始発駅ですが、高野山へ向かう高野線系統の全列車が発着します。

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難波駅から極楽橋まで一本で結ぶ快急

南海高野線では難波駅から高野山の中腹にある極楽橋駅まで直通する列車が運転されています。かつては1時間に2本と言う高頻度で運転されていましたが、高野線沿線の宅地造成に伴う利用者急増を受けて、都市部と山間部での需要の違いから難波から高野山まで直通する列車はかなり大幅に削減されることになりました。現在では、本数はわずかながら、朝には高野山方面への下り列車が、夕方には難波行きの上り列車がそれぞれ高野山の参拝に便利な時間帯に運転されています。

難波駅から極楽橋駅までの所要時間は約1時間30分です。

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特急「こうや」

また、全席指定の特急「こうや」が難波から高野山まで直通で運転されているほか、橋本駅で急行と区間運転の普通列車を乗り継ぐことで、高野山へ向かうことが可能です。

 

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快急に使用される2000系電車

山間部にあたる橋本~極楽橋間は、50‰の勾配や半径100m級の急カーブが続くため、この区間に乗り入れる車両には大きな牽引力が必要とされるので、この区間へ乗り入れることが出来る車両は限られています。難波から極楽橋へ直通する全列車に使用されるのは2000系電車。平坦区間から急峻な山岳区間までにおいて、広範囲に速度と牽引力を制御できる性能を備えていることから、広角から望遠まで、広範囲に画角を変えられる、カメラのズームレンズ に例えて「ズームカー」という愛称があります。

車内は車端部を除いてロングシートが並びますが、その車内から見える景色は、高速で駆け抜ける都市部、住宅が多数立ち並ぶエリア、力強く突き進む山間部と、目まぐるしく変化し利用者を楽しませてくれます。特急列車じゃ味わえない日常の中にある非日常、と私は勝手に呼ばせていただきますが、どこか不思議な感覚を味わうことができるのがこの直通列車の特徴と言うわけです。ちなみに、この直通運転を大運転と呼ぶこともあります。

なお、この2000系電車は南海本線や直通列車以外の高野線の列車でも使用されていますが、この2000系電車の真価が問われる直通列車がやはり一番楽しいと思います。

 

高野山ケーブル高野山へ到着

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高野山ケーブル

難波駅から極楽橋駅まで乗り換えなしで一本で来ることができますが、流石に極楽橋より山頂側は最大568.2‰という急こう配を登る必要があることから、極楽橋でケーブルカーに乗り換える必要があります。

高野線の列車の極楽橋駅発着時刻に合わせて運行されていますので、乗り継ぎの心配は無用。このため、運転間隔は不均等ですが、おおむね10 - 40分毎に運行され所要時間は5分。また、積み残しが発生した場合には当該便の7分後に臨時便が運転されます。

高野山ケーブルでは2019年3月1日から新型車両にて運行されており、客車部分はスイスのキャビンメーカーのCWA社が手掛け、欧州風の流線型が特徴的なアルミ製の車体に、高野山・壇上伽藍の根本大塔を想起させる朱色をコンセプトカラーとして採用し、和洋折衷のデザインで高野山への「期待感」を醸成しています。

 

高野山上エリアでは南海りんかんバスを利用しよう

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南海りんかんバス

ケーブルカーの高野山駅から金剛峯寺などが立ち並ぶエリアとは少々距離が離れていますので、ケーブルカーで高野山駅で到着後は南海りんかんバスに乗り換えることになります。南海りんかんバス高野山駅前からバス専用道を走りますので、バスを利用せずに歩いていこうと思うととんでもない距離を歩くことになります(笑)

バスと言うと運行本数が気になるところですが、ケーブルカーに接続していますので、難波駅から乗り継ぎよく金剛峯寺まで行くことが出来ます。

 

まずは奥の院

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一の橋

高野山駅前からバスで約14分、「奥の院口」バス停で下車します。まず初めに高野山駅から一番遠い奥の院から参拝を始めるのが一般的です。ここから奥の院までは約2キロの道のりとなります。

奥の院への入り口となる一の橋は、弘法大師御廟に向かう参道入口で最初に渡る橋なので、一の橋と言われます。正式には大渡橋(おおばし)と言われ、昔から、お大師様が人々を、ここまで送り迎えしてくれると言い伝えられています。

 

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参道

表参道入り口、一の橋から弘法大師御廟まで通じる約2キロの参道両側には、何百年も経た老杉が高くそびえ、その老杉のもとには、少しでもお大師様の近くで供養されたいと願う数十万基を超える各時代の、あらゆる人々の供養塔が建ち並び、高野山が日本一の霊場である事をあらわしています。

 

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石田三成の墓

数十万基の供養塔の中には歴史上に名を残した戦国武将の墓も沢山あります。これを目当てに全国の戦国武将マニアが高野山に押し寄せるほど。戦国武将には疎い私でも、名を知っている武将の墓がたくさん見つかりました。

 

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南海電鉄創業者の松本重太郎の墓

流石、南海のお膝元、いや南海が高野山のお膝元というのが正しいのかもしれませんが…南海電鉄創業者の松本重太郎氏の墓もありました。

 

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汗かき地蔵

中の橋を渡るとすぐの、この地蔵堂の中には、汗かき地蔵をお祀りしています。この汗かき地蔵は、世の中の人々の苦しみを、お地蔵様が身代わりになり一身に受けているので、いつも汗をかいていると伝えられています。

 

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御廟橋

この橋を渡ると大師御廟への霊域に入ります。この橋を渡る人は、橋の前で服装を正し、礼拝し、清らかな気持ちで霊域に足をふみ入れます。この橋は、36枚の橋板と橋全体を1枚として37枚と数え、金剛界37尊を表していると言われ、橋板の裏には、仏様のシンボルの梵字が刻まれています。この橋の上で、あの苅萱道心(かるかやどうしん)と石童丸親子(いしどうまる)が初めてめぐり合ったとも伝えられています。この橋は従来、木の橋でしたが、現在は原型通りの石橋に架け替えられています。

なお、ここから先は写真や動画の撮影が禁止されていますので、写真でのご紹介はここまで。この先には燈籠や弘法大師御廟があります。

 

奥の院へは「奥の院口」バス停で降車せず、「奥の院前」バス停までご乗車いただいても観光することが可能ですが、奥の院口から徒歩で奥の院まで向かうのがおすすめ。「奥の院前」からは弘法大師御廟まで徒歩約20分の観光コースになります。ですが、高野山の雰囲気を本格的に味わうには参道を歩かれることをおすすめします。

 

 高野山のもう一つの聖地、壇上伽藍(だんじょうがらん)へ

弘法大師さまが高野山をご開創されたときに、真っ先に整備へ着手した場所ですがこの壇上伽藍です。空海が実際に土を踏みしめ、密教思想に基づく塔・堂を建立しました。この壇上伽藍は、「胎蔵曼荼羅(たいぞうまんだら)」の世界を表しているといわれています。高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所で、古来より大師入定の地である奥之院と並んで信仰の中心として大切にされてきました。

 

今回はこの壇上伽藍に来たからには見るべきポイントを紹介します。

 

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金堂

高野山御開創当時、お大師さまの手により御社に次いで最初期に建設されたお堂で、講堂と呼ばれていました。現在の建物は7度目の再建で、1932年に完成しました。 内部の壁画は岡倉天心に師事し日本美術院の発展に貢献した木村武山画伯の筆によって、「釈迦成道驚覚開示(しゃかじょうどうきょうがくかいじ)の図」や「八供養菩薩像(はっくようぼさつぞう)」が整えられました。本尊の阿閦如来(薬師如来秘仏)は、洋彫刻の写実主義に関心をよせ、江戸時代までの木彫技術に写実主義を取り入れて、木彫を近代化することに貢献された、高村光雲仏師によって造立されました。内部の写真を撮ることはできませんが、これらの作品は必見です。

高野山で執り行われる重要な行事の大半はここで行われます。

 

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六角経蔵

鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うため、紺紙に金泥(きんでい)で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵です。現在の建物は1934年2月に再建されました。経蔵の基壇(きだん)付近のところに把手がついており、回すことができるようになっています。この部分は回転するようにできており、一回りすれば一切経を一通り読誦した功徳が得るといわれています。私は友人と二人で参拝したのですが、その二人だけでも軽々...とまではいきませんが回すことができました。建物を自分の力で動かすということはなかなかないことなので、かなり不思議な感覚になります。

 

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大塔

高野山と言えば、よくパンフレットなどに使用されるのがこの大塔。現在ではシンボル的存在として扱われています。

この大塔は816年から887年ごろに完成したと伝えられており、真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立されたので古来、根本大塔(こんぽんだいとう)と呼んでいます。多宝塔様式としては日本最初のものといわれ、本尊は胎蔵大日如来、周りには金剛界の四仏(しぶつ)が取り囲み、16本の柱には堂本印象画伯の筆による十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)、四隅の壁には密教を伝えた八祖(はっそ)像が描かれ、堂内そのものが立体の曼荼羅(まんだら)として構成されています。

 

真言宗の総本山、金剛峯寺を参拝

奥の院、壇上伽藍と来ると次に参拝すべきは金剛峯寺ではないでしょうか?

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金剛峯寺

高野山真言宗の総本山がこの金剛峯寺にあたります。高野山全体の宗務が行われており、住職には高野山真言宗管長が就任するしきたりになっています。

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国内最大級の石庭「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」や狩野派の襖絵など見どころが多数ありますが、襖絵に関しては撮影禁止。しっかりと目に焼き付けて帰りましょう。

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高野杉

本堂内には高野杉と呼ばれる杉の木の切り株が展示されていました。実際に見てみると本当に木の切り株なのかと疑ってしまうような大きさで、大変驚かされます。

 

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蟠龍庭

蟠龍とは、天に昇らずに地上でとぐろを巻き、潜んでいる龍のこと。広さ2340平方メートルに及ぶ石庭に、雲海の中雌雄1対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されています。

 

昼食は精進料理を体験

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精進料理

折角高野山に参拝に来たのならば、やはり昼食は精進料理ではないでしょうか?日常生活ではほぼ食べる機会のない精進料理ですが、この機会にぜひご賞味ください。

ちょっと腹持ちの悪さは感じましたが、バリエーションの豊富さで肉なしでも満足できるような内容になっていますよー。

 

時間があれば行っておきたい観光スポット

大門

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大門

高野山の入口にそびえる、一山の総門である大門。開創当時は現在の地より少し下ったところにあったようです。山火事や落雷等で焼失し、現在の建物は1705年に再建されました。高さは25.1メートルあります。左右には金剛力士像が安置されています。この仁王像は東大寺南大門の仁王像に次ぐ我が国二番目の巨像と云われ、江戸中期に活躍した大仏師である運長と康意の作です。

この大門付近からの眺望はよく四国や淡路島が見えることもあります。

 

徳川家霊台

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徳川家霊台

1643年に三代将軍・家光によって建立されました。一重宝形造り(いちじゅうほうぎょうづくり)の建物が二つ並んでいて、向かって右が東照宮家康公霊舎(おたまや)、左が台徳院秀忠公霊舎となっています。

建物の内部は漆、金箔、壁画等で装飾されていますが、現在見学をすることはできません。

 

女人堂

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女人堂

その昔、高野山には七つの登り口があり、高野七口と呼ばれていました。1872年に女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りが厳しく制限され、そのため各登り口に女性のための参籠所が設けられ、女人堂と呼ばれました。現在の女人堂は唯一現存する建物で、もっとも高野山駅に近い場所にある建物でもあります。

 

観光列車「天空」帰宅

南海高野線極楽橋駅から橋本駅の間には急こう配の斜面や24個ものトンネル、高低差443mもある山岳区間を楽しんでいただけるよう、観光列車として「天空」を運転しています。

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天空

天空で使用される2200系電車は元々難波から極楽橋駅まで直通する急行列車に使用されていた22000系電車を改造して登場しました。

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車内の様子

座席はすべて難波方面に向かって進行方向左の景色が楽しめるように配置されています。こちら側の景色からは紀ノ川や険しい山岳の景色を一望することができます。

 

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50‰という厳しい勾配区間を走る

また、編成中には一か所オープンデッキが備え付けられていますので、山々を抜ける風や険しい坂道を登ったり下ったりする車両の走行音を堪能できます。

 

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急行列車

橋本駅では急行 なんば行きに接続していますので、橋本駅到着後も便利なダイヤ設定になっています。

 

普通乗車券に追加520円(子供260円)で利用することができますので、利用してみてはいかがでしょうか。

www.nankai.co.jp

 

高野山観光に便利な切符

今回、私が利用したのは阪急電車が販売する「高野山1dayチケット」。阪急電車、大阪メトロの全線と、南海の高野線系統の路線、南海りんかんバス高野山内が乗り放題となった切符です。また、能勢電版は阪急版に加えて能勢電全線が乗り放題となっています。高野山までの往復だけで十分元が取れる切符ですが、高野山内で使える便利な割引クーポンもセットになっています。このほかにも、高野山参拝には便利なフリー乗車券が販売されていますので、ぜひご利用ください。

www.hankyu.co.jp

 

高野山を参拝してみた感想

真言宗の総本山である、高野山。その山頂付近は麓とは違った空気感の流れる場所でした。高野山までの長い道中、いや利便性については現在申し分のないほどだと思いますが、ここに至るまでの間、都心の風景、住宅街の風景、田畑の風景と人々の営みが感じられ、また高野山に参拝して気持ちを改めて生きていこうと思えるような場所であったと思います。別段、天台宗もとい仏教を信仰しているわけではないですし、これからも厚く信仰しようと思うわけでもないですが、一生に一度は訪れたほうが良い場所であると思います。四国88か所めぐりの起点と終点にもなっている高野山、機会があればぜひ足をお運びください。

【なぜに世界遺産】石見銀山観光の虎の巻 2020/8/5-7 島根④

山陰地方唯一の世界遺産として知られる石見銀山。山陰に旅行へ行くなら一度は行ってみたいと思われる方も多いのではないでしょうか?今回は、石見銀山世界遺産に認定された理由とぜひ行くなら見ておきたい見どころについて紹介していきたいと思います。

 

目次

 

2007年に世界文化遺産に認定!

 「石見銀山遺跡とその文化的景観」は2007年に鉱山遺跡としてはアジアでは初めて世界遺産に登録されました。その規模は東京ディズニーランド約11個分にも及ぶ529haで、間歩と呼ばれる坑道だけでなく、鉱山と共に発展した趣深い町並みには今も人々が暮らし、歴史を伝え残しています。

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大森町石見銀山の残る自然

世界遺産に登録されている鉱山遺跡は極めて異例の存在。しかし、石見銀山世界遺産登録の決め手となったのは、山を崩したり森林を伐採したりせず、狭い坑道を掘り進んで採掘するという、環境に配慮した生産方式をとっていたという、他には類を見ない存在であったということです。

一般的に銀山開発には銀の精錬のため多くの木材が必要で、山の木が無くなることが通常でしたが、石見銀山では、採掘当時から山を崩したり森林伐採をせず、銀鉱脈に沿って狭い坑道を掘り進める採掘方法や伐採した数と同じだけ植林を行うなど適切な森林管理が行われていました。

これが、21世紀が必要とする環境への配慮がすでに行われていたと高く評価されることになりました。

また、採掘から搬出までの銀山運営の全体像がしっかりと残りそれを今の時代にも伝えられていること、石見銀山の銀がアジアやヨーロッパ諸国の経済や文化の交流に影響を与えたことなども世界遺産登録の重要なポイントとなりました。

 

石見銀山の基礎知識

採掘から精錬まですべて手作業で行われていた石見銀山は、間歩(坑道)や製錬工房跡、住居跡などが多数残っています。 石見銀山の観光を最大限に楽しむ秘訣は「繋がりを考える」こと。石見銀山の発展がどのように影響したのか、銀の採掘と精錬がもたらした銀山に住む人々の生活などを複合的に観察して考察することが重要になってきます。

つまり、ただ単に坑道や町並みを眺めるだけでは石見銀山の真価を理解するということができません。まずは、石見銀山を楽しむための基礎知識を学びましょう。

 

石見銀山の歴史

石見銀山鎌倉時代末期には発見されており、この頃からある程度の露天掘りが行われていました。しかし、これは本格的なものではなく必要なときに必要な量だけ掘り出すというものでした。

本格的に開発に乗り出したのは博多の大商人、神谷寿貞とされています。神谷寿貞は博多から宗丹と桂寿を招き海外渡来の銀精錬技術である灰吹法により精錬されました。この技術でより効率的に銀を得られるようになり、全国の鉱山に伝えられ、日本における銀産出に大きな貢献をすることになります。

石見銀山はその後、日本経済の商業的発展を大きく支えることとなります。国内での通貨として用いられたほか、明でのポルトガルやオランダとの交易に利用されることになりその経済規模の為に銀需要はかなり大きかったと言えます。当時の世界の銀産出量の3分の1を日本の銀が占めたとも言われています。

江戸時代には江戸幕府の直属領として産出が進められ、明治時代には民間に払い下げられました。1886年からは大阪の藤田組(現在のDOWAホールディングス)により再開発が進められましたが、1943年には完全閉山となりました。

 

 石見銀山から広まった精錬方法、灰吹法

貴金属の鉱石は基本的に混合物として採掘されますが、反応性は低いので金や銀の鉱石を融解した鉛に投じると、鉛に溶け込んで合金を生じます。この金銀が溶け込んだ鉛を空気を通しながら約800-850℃に加熱すると、鉛は空気中の酸素と反応して酸化鉛になります。銅、鉄、亜鉛といった不純物は酸化して酸化鉛と混合します。残った貴金属粒子は吹金(灰吹金)あるいは灰吹銀と呼ばれました。

残った貴金属合金粒子から金と銀を分離するには、硝酸で銀を溶解するか、電解を行えばよく、江戸時代の日本では金を含有する灰吹銀に鉛および硫黄を加えて硫化銀を分離し、金を残すという手法が採られました。

日本には1533年に伝来し、石見銀山で確立されたのちに日本全国の鉱山へ技術者が移住することで日本全国でこの灰吹法が用いられることになったのです。この貴金属の精錬方法は日本の金属の生産に大きく影響したといわれています。

 

石見銀山を観光しよう!

石見銀山へ行くなら絶対に見ておきたい龍源寺間歩

石見銀山には銀山採掘のために掘られた「間歩(まぶ)」と呼ばれる坑道や水抜き坑などが700余り確認されています。

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新切間歩

写真のような間歩が至る所に存在します。鉱物が沢山採掘されるとその間歩が更に掘り進められることになるので、穴の大きさと鉱物の採掘量はかなり密接に関係しているようです。大きな間歩を見つけたときにはこの間歩では沢山採掘されたんだなと思いをめぐらしてみてください。

間歩の中は基本的に鉱脈に沿って掘り進められているので内部は入り組んでおり、中には急な勾配もあります。内部は基本的に立入禁止です。興味本位で間歩に入り込んだ方が過去に転落して亡くなったという事例もあるようで…絶対にやめましょう。

 

間歩のほとんどが一般人の立入は禁止されていますが、唯一一つだけ一般公開されている間歩があります。それが龍源寺間歩。

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龍源寺間歩

龍源寺間歩は唯一通年で見学することのできる間歩です。江戸時代の中期に開発された大坑道で、全長600mのうち、約3分の1が公開されています。

間歩の中の気温は外気に比べて-10℃ほど低く、中はひんやりしています。これは内部の湿度が高いことが影響しているとか。私が訪れたのは満夏真っ盛りだったので自然のクーラーを楽しむことになりました。

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龍源寺間歩に残る横穴

あちこちに掘り進められた横穴や排水のための竪坑など、複雑な坑道の仕組みを垣間見ることができます。このような横穴が沢山ありますので、中で迷子になって遭難してしまうというわけなんですね。また、坑道の壁面には当時のノミの跡がそのまま残っています。

 

龍源寺間歩までの道のりにも見どころが沢山

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高橋家

銀山町年寄山組頭の遺宅で茶室を設け、付属建物では酒造なども行なっていたという銀山屈指の建築です。「山組頭」は鉱山の取締役で鉱夫の人事や物資の購入などを担当していました。

 

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要石(かなめいし)

前述のように石見銀山で良く用いられた精錬方法の灰吹法では精錬前の鉱石を砕く必要があったことから、当時から使用していた要石が家の軒先に置かれていました。炭鉱夫以外にもこの炭坑地区に住んでいた方が石見銀山とどのように密接にかかわってきたのかよくわかる証拠だと思います。

 

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銀山地区にはお墓が残る

こちらは銀山地区に残るお墓と言うわけですが、炭鉱生活をしていた人々のお墓がたくさん残っています。

先述した灰吹法を用いた精錬を扱っている人々は、酸化鉛や水銀の粉塵を吸い込むことで鉛中毒や水銀中毒を発症し、鉱山での劣悪な環境も相まって30歳まで生きられた鉱夫は尾頭付きの鯛と赤飯で「長寿」の祝いをしたほどだったそうです。

 

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集落跡

こちらの写真は石見銀山の採掘に当たっていた人々が住んでいた集落の跡になります。石で階段状になっているところにかつては家が立ち並んでいたそうです。

 

ガイドツアーが断然おすすめ

環境保護のため自家用車の立ち入りはかなり規制されている関係で、龍源寺間歩へ直接車で行くことはできませんので、石見銀山大森観光案内所の前の駐車場に車を止めてそこから30分から45分ほど歩くことになります。電動自転車のレンタサイクルを利用していくこともできますが、ここでおすすめしたいのがガイドツアー。この長い道のりを利用して石見銀山のことを詳しく伝えてくれます。

これまでに紹介したように龍源寺間歩以外にもその道のりには様々な見どころがあります。一人では見逃していますようなところでも、丁寧なガイドの方の解説によってまわることができます。「石見銀山観光ワンコインガイドツアー」は大人500円、小中学生100円ですので、時間さえ合えば参加の価値は十分にあると思います。ガイドツアーに参加することでまた見え方が変わってくるのではないかと思います。

 

 古い町並みが立ち並ぶ大森地区

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大森地区の町並み

江戸時代の武家屋敷や代官所跡、石見銀山で栄えた豪商・熊谷家住宅など、歴史的な建造物や文化財が並び、当時の面影を今に伝えてくれます。その通りをのんびり散策すると、どこか懐かしい雰囲気に包まれます。その景観を壊さないよう、自動販売機も木製枠で造られているなど様々な工夫が施されています。

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熊谷家住宅



近年では、古民家の趣を残しつつ新しさも取り入れたお店やカフェなどもあり、落ち着いた雰囲気に癒される人気のスポットになっています。銀細工を扱ったお店もあり、お土産などを購入することもできます。

 

更に石見銀山のことを詳しく知りたいなら世界遺産センターへ

石見銀山世界遺産センター」は、石見銀山の歴史と技術を紹介する展示や、石見銀山の調査・研究センターとして、最新の調査成果を公開していく施設です。
当時の銀の精錬技術である灰吹法(はいふきほう)を解説する常設展示などのほか、企画展も開催します。展示コースの最初には、全て銀でできた御取納丁銀の5倍のサイズのレプリカが飾ってあります。

 

石見銀山での移動手段は?

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グリーンスローモビリティ

石見銀山への一番の最寄り駅は大田市駅ですが、そこからバスで1時間ほどかかるので可能であればマイカーまたはレンタカーで訪れられることをお勧めします。銀山地区と大森地区も少し離れた距離にありますし、世界遺産センターへも少し距離が離れていますので石見銀山内での移動にも車が便利です。しかし、石見銀山では環境保護の観点から大森観光案内所までしか観光車両は立ち入ることができません。しかし、その先徒歩45分ほどの距離には龍源寺間歩があるなど移動はかなり大変。そこで、私が訪れた際には社会実験の一環で電動自動車を用いたグリーンスローモビリティが運行されていました。運賃は当面の間無料と言うことでしたが、銀山内での移動に大きく役立てることができました。

 

観光の所要時間など

石見銀山での観光の所要時間は3-4時間程度で周ることもできますが、是非とも6時間ほどかけてゆっくり周っていただきたいと思います。ぜひとも島根県へ足を運ばれる際には石見銀山にもお立ち寄りください。

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