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【超個性的】加悦鉄道で活躍した気動車たち 2020/3/29 加悦③

※本文中の情報は取材日のものです。できるだけ最新の情報に更新するよう努めてまいりますが、お出かけの際には各自で最新情報をお調べいただきますようお願い申し上げます。

加悦鉄道関連の記事一覧

miyakoji-cityliner.hatenablog.com

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目次

 

はじめに

気動車に乗ると旅に来たって感じがする。坂を上るとエンジン音が大きくなり、エンジンを切ると音が小さくなる。それが風景とも相まって情緒を引き立てる。

1985年に廃止されたこの加悦鉄道を走った車両たち。明治期からの古典蒸気機関車や2軸客車に目を向けることが多い。しかし、この加悦鉄道では4両の個性的な気動車が活躍した。今回はそれらの気動車について簡単ながら紹介しよう。

 

現在日本で残っているのはこの車両だけ!片ボギーのキハ101

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キハ101

1936年に加悦鉄道開業10周年を記念して日本車両製造で製造された。当初はガソリンカーだったが、1968年にディーゼルエンジンに換装した。変速機は機械式と言って、マニュアル式の自動車と同じようにギアチェンジをして加速する。全長は12m弱だが、車輌の前後は荷物置き場となるバケットがある。連結器は貨車の連結や客車としての使用も考慮されたものになっている。この車輌の最大の特徴は、片方がボギー台車、もう片方が1軸という「片ボギー」という珍しい車軸配置で、現在残っているのは日本ではこの1両のみ。

 

この車両は加悦鉄道再現列車としても使用されている。詳しいこの車両については以下記事で紹介しているのでそちらをご閲覧いただきたい。

miyakoji-cityliner.hatenablog.com


郵便荷物室を復元!キハユニ51 

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キハユニ51はもっとも右寄りに置かれている

キハユニ51は転車台を囲む一番右寄りに展示されている。

前面は一見するとキハ101と似ているが、キハ101は3枚窓でキハユニ51は4枚窓という違いがある。

1936年に日本車輌製造で造られたボギー式の気動車で、機械式のガソリンカー。前述のキハ101とは同い年である。芸備鉄道(今の芸備線)キハユニ18として登場した。山口県船木鉄道ディーゼル化ののち1962年に加悦鉄道が譲り受け、キハ51となった。車輌の前後にバケットを備えるほか、扉配置も前後非対称で独特のシルエットだ。

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車内はロングシート

車内はロングシート。全長5.7㎞の加悦鉄道にはロングシートで十分だろう。加悦鉄道時代では荷物室との仕切りは撤去されて客室として使用されていたという。座り心地はキハ101と近いものを感じた。キハ101とは製造年と製造メーカーが同じなのだから似ているといわれても不思議ではないのだが…。ただし、キハ101は1980年ごろ休車となったが、キハ101よりもキハ51は輸送力が大きいため1985年の廃線まで活躍した。

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運転台

運転台はキハ101に近いものを感じる。信号装置などが見当たらないため、比較的コンパクトな印象を受ける。ブレーキは2つあり、左の大きなハンドルが留置時に使う手ブレーキ、右側が運転の際に使用する空気ブレーキになっている。

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国鉄時代の車番である40921

芸備鉄道が国鉄に買収され国鉄気動車として活躍した際にはキハ二40921という車番が与えられた。

日本車輛の銘板は右から読む書き方。時代を感じさせる。昭和拾壱年という書き方も独特だ。

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郵便荷物室

加悦鉄道では通常の客室として使用されたこの郵便荷物室の区画だが、1993年の大修理の際、メーカーの日本車輌より図面を取り寄せ、郵便荷物室を製造当初の状態に復元し、車号もキハユニ51とした。

郵便荷物室として使用されたので区分け用の棚が設けらていた。郵政省職員が乗り込んで区分け作業が行われた。

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郵便荷物室が設けられているので郵便のマーク

郵便荷物室が設けられているので郵便のマークがある。鉄道での郵便荷物輸送が行われていない今、営業線上で鉄道車両でこの郵便マークを見ることはできない。

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エンジン

エンジンについてはよく分からないが、近代のエンジンに比べて構造は単純に思われる。

エンジンや台車の上には点検盤が設けられているので、車内からの点検が可能である。

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車輪はスポーク車輪

車輪はスポーク車輪。現代の気動車では見ることはできない。

 

キハユニ51は比較的私鉄の気動車では典型的な車両であるといえる。ただ、このような私鉄向け気動車も保存数は少なくなっているのでかなり貴重である。

 

客車から改造されたキハ08 3

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キハ08 3は北海道からやってきた

鋼体化客車オハ62から改造された国鉄の客車改造ディーゼルカーで、1962年に国鉄苗穂工場(北海道)でキハ40 3として造られた。1966年にキハ08 3に改番され、1971年に加悦鉄道に譲渡された。国鉄では新製のディーゼルカーが行き渡るまでの暫定的な処置として、こうした改造を行ったが、自重の重い鋼体化客車を改造したため特に登坂時の非力が問題となり、廃車を早めたと言われている。国鉄時代は北海道に配置され、慢性的な気動車不足を解決する手段として期待されたものの大量増備とはならなかった。北海道に配置された名残として二枚窓になっている。旧型客車改造ディーゼルカー14両のうちの、唯一の生き残りだ。

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車体断面は客車時代のまま

妻面には、他の一般形気動車に準じて窓や貫通扉が設けられたが、車体断面は屋根の深い客車時代のままで、前照灯も幕板に埋め込まれるなど、同時期の一般的な気動車とは一線を画す表情をしている。

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反対側の前面

 

改造車であるため銘板が複数並ぶのも見どころ

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キハ08 3の台車部

台車は動力台車は気動車用のDT22Aを新製し、付随台車は気動車用のTR51Aを新製している。この時のDT22A・TR51Aは、通例のような大手車両メーカー・台車メーカーではなく、札幌市電の車両や道内の簡易軌道の車両製作・改造を手がけていた泰和車輛が製作・納入した。背景には地方産業育成の意図があったと思われるが、国鉄では珍しい事例である。台車構造やブレーキ取り回しの問題から、心皿高さが客車時代に比べ70mm持ち上がっている。ブレーキ装置は気動車用のDA1系に変更されたが、一般の気動車より車重がかさむため、テコ比を変更して効きを強めてあった。

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椅子は板貼り

車内は休憩所に改装されており、一部椅子が撤去されてテーブルが設置されている。私が訪れた際には車内立ち入りは閉鎖されていたので、車内の様子を見ることはできなかった。

加悦鉄道資料館で撤去した椅子が保管されている。写真は加悦鉄道資料館のもの。背刷りが板張りのため、乗り心地が良いとは言い切れないものの短時間の乗車なら十分であろう。

 

キハ08は非力で失敗とされたが、客車改造のディーゼルカー国鉄分割民営化後、50系改造のJR北海道(後年にJR東日本譲渡したものも存在)のキハ141系やJR西日本キハ33系、12系改造のキサハ34形、キサロ59形が改造された。キハ141系に関しては唯一大量増備が行われており、成功例であるとみられ現在でも現役である。また、キハ33系は津山まなびの鉄道館で保存されている。

 

一般形気動車の確立型 キハ10 18

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キハ10 18

1956年に帝国車輌で造られた国鉄ディーゼルカーで、当初はキハ48117として福知山機関区に配属された。1957年にキハ10 18に改番、1980年に豊岡機関区で廃車となったものを、加悦鉄道が譲り受けた。キハ10形は、国鉄で初めて量産されたディーゼルカーだが、当時のディーゼルエンジンの非力を補うため、軽量化を目的に車体を一回り小さくしているのが特徴。

キハ083と共に総括制御(一か所の運転台から連結した全車輌のエンジンを制御できる)ができ、多客時には連結して運転された。1985年の廃線まで活躍し、さよなら列車として運行された。

加悦SL広場では加加悦鉄道保存会の事務所として使用されていた。

 

加悦鉄道の気動車にたちに思いを馳せて

加悦鉄道にはこれら4両の個性的な気動車が所属していた。

大江山のふもとをとことこと走る加悦鉄道。特にボックスシートであるキハ08 3やキハ10 18などは車内から眺める風景は、丹後ののどかな風景を楽しむことが出来たであろう。ロングシートであったキハ101やキハ51は通勤輸送でも大きな輸送力をはっきしたであろう。

今では加悦鉄道は廃止になり、その様子は実際に乗って楽しむことができない。しかし、この加悦SL広場ではその雰囲気を想像することができる。これらの車両は加悦鉄道の生き証人として今に伝えてくれる。

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