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【唯一無二の存在】昼夜兼用特急電車581・583系の旅

※本文中の情報は取材日のものです。できるだけ最新の情報に更新するよう努めてまいりますが、お出かけの際には各自で最新情報をお調べいただきますようお願い申し上げます。

夜行列車。かつては日本全国を走り回りました。

夜に出発し朝に目的地に到着。移動時間を睡眠時間に充てられることから一日を有効に活用することが出来ます。

現在定期運行しているものはサンライズ出雲・瀬戸の上下一往復ずつまで減少しました。ところが1960年ごろ、夜行列車、特に寝台列車の需要が急激に高まるという時期がありました。そんな中で登場したのが今回紹介する581・583系電車です。今まで客車が主流だった寝台列車ですがこの581・583系は電車で登場し、更には昼間の特急列車にも使用できる車両として登場しました。なぜこんな一風変わった電車が登場したのか、昼夜兼用としての特別な設備にはどんな特徴があるのかについて詳しく紹介していきたいと思います。

581・583系電車の旅、いざ出発です!

 

目次

 

581系登場前夜

夜行列車の歴史は日本全国の鉄道網が概ね完成した明治時代中期までさかのぼります。当時の鉄道の速度では昼夜を問わず走り続けないと目的地に到着することが出来ませんでした。初期は座席車しか連結していなかったものの、1900年に山陽鉄道(現在の山陽本線)が寝台車での運行を始めました。

 

10系客車の登場

第二次世界大戦後、日本人の航空技術開発禁止に伴う技術者の移籍が行われた結果、重量制限の厳しい航空機のモノコック構造という理論および設計ノウハウが鉄道車両開発にも移転されました。加えて、当時軽量化技術において世界をリードしていたスイス連邦鉄道(スイス国鉄)に影響され、1955年に登場したのが軽量客車である10系客車です。

大型の窓を備えるなどスイス流の軽快かつ明朗なスタイルが導入され、国鉄車両のデザインに新風を吹き込みました。電車・気動車を含むその後の国鉄車両のほとんどは、この10系客車を基本にした軽量構造を採用しており、後続の旅客車両設計に大きな影響を与えた形式と言えます。その一方で、車体や台車こそ近代的になったとはいえ、自動空気ブレーキや車軸駆動式の発電装置、並形自動連結器、蒸気暖房など旧来のものを踏襲した部分も多く、車両運用上も1両単位で在来他形式との混結を前提としていました。

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10系客車(Wikipediaより引用)

 

「走るホテル」20系客車

1958年には10系客車の反省を踏まえて新たな発想のもと新しい客車が登場しました。それが20系客車です。日本で初めて同一系列・同一意匠の車両による「固定編成」を組むことを前提とした体系的な基本構想の下に設計されました。電源車から一括供給される大容量の電力により、国鉄制式客車としては初となる全車空調設備の装備と、食堂車の調理設備の完全電化を実現しました。また編成内の旅客車全車に空気ばね台車を装備するなど、居住性を大きく改善した画期的な車両です。最初に投入された列車にちなみ「あさかぜ形客車」とも呼ばれ、その設備の優秀さから登場当時は「走るホテル」とも評されました。

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20系客車(Wikipediaより引用)

 

電車の時代へ

戦後、短距離列車は短い編成の電車、長距離列車は長い編成の客車として運転されていました。現在でも海外ではこのような方式で運転されており、新型客車の製造もおこなわれています。ところが日本では1958年に運行を開始した東京~大阪間の電車特急「こだま」が運行を開始。客車列車よりも所要時間を短縮することができること、通勤ラッシュ対策のため電車の導入が進み、長距離も電車化が進みました。カルダン駆動方式という当時最新の駆動方式が採用され、車内の静寂性もかなり保たれるようになりました。これだと電車方式の寝台列車を運行しても問題ありません。

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電車特急「こだま」に使用された151系電車(のちに181系に改造)のモックアップ
1960年代に入ると高度経済成長の進展による好景気による輸送需要増大に伴い全国的に優等列車の増発が進められました。しかし、この過程で運転本数が多くなった急行・特急列車に対し、運行する車両を留置する車両基地の容量が不足し、さらに車両の新規製造コスト捻出が問題化していました。
国鉄東海道新幹線が開業した1964年より赤字に転じており、一気に多額の設備投資をすることはできません。そこで昼夜兼用電車の開発に乗り出し、1967年に直流1500Vと交流60Hzに対応する581系が、1968年には直流1500Vと交流50・60Hz両方に対応する583系が登場しました。
昼夜兼用とすることで、寝台列車として当時最速の120km/hで走行することが可能となり、昼夜兼用とすることで費用対効果を高めることに成功、朝夕ラッシュ時の通勤電車が都市近傍の通勤用電車基地が在籍車フル稼働時間帯を迎えて空隙が生じるため、その間の通勤車基地で寝台設備の解体・組立を行うことにより新規の地上設備投資を抑制に成功など数々のメリットが発生しました。
 
 

581・583系の開発にあたって

581系の機器類は同時期に製造されていた特急電車の481系と同等のものが採用されました。また、1968年に3電源(直流1500V, 交流50・60Hz)に対応した485系登場に合わせて同じく3電源対応の583系が登場しました。このため、分割民営化後のJR西日本では485系と併結して運転された実績があります。

 

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485系電気機関車との協調運転を行うための設備を取り付けた489系電車

塗装に関して従来の特急形はクリーム4号に窓周りに赤色(赤2号)の帯というスタイルでしたが、581・583系ではクリーム1号に窓周り青色(青15号)の帯としました。塗分けは昼間の特急形と同じでしたが、20系客車や新大阪で接続する新幹線を連想させるような塗装になりました。

また、これまでの特急形電車はボンネット形の先頭形状と低い屋根による速度感の強い外観だったのに対し、本系列では寝台スペースの確保のためにほぼ限界いっぱいまで広げられ車高が高く、車体側面を垂直とし国鉄特急形電車としては初めて前面貫通路が設置されました。

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581系電車

前面貫通扉は運行区間の末端部で編成を切り離して行き先を分ける(例えば大阪発の列車を博多で西鹿児島行きと長崎行きに分割する)ような列車でも編成間を通り抜けられるように取り付けられました。しかし、実際に分割するような列車に充当することはなく、隙間から風が運転室に入り常務環境を悪化させる原因になったり、メンテナンスの手間がかかるなどしたため、封鎖したものも登場しました。

また、この前面スタイルは後に登場する国鉄特急形電車にも採用され、貫通扉がないデザインが主流になったものの鉄道ファンの間では「電気釜」と呼ばれ国鉄特急の顔として親しまれました。

また、国鉄分割民営化後に登場した電車の一部にもこのスタイルを受け継いでいるものが多数あり、JR西日本最新の特急形電車にも受け継がれています。

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電気釜スタイルの189系

 

昼は座席 夜は寝台 車内はどうする?

昼夜兼用としたことで、この581・583系の開発は車内設備に重点が置かれました。

当初は急行形として計画されたものの、速度の遅い急行列車では終点に着いてから車庫で寝台を解体して座席にする十分な時間を確保することができません。そこで特急形に計画を変更しざるを得ませんでした。

従来の20系客車では3段寝台を枕木方向に配置して車内の片側に寄せ反対側を通路にしていました。日中(夜行列車でも長距離列車になると日が登っている時間にかなり走行することになる)は中段と上段の寝台を上に跳ね上げることで1番下の寝台を座席として使用していました。これを開放式寝台と言います。この開放式寝台581系に採用すると昼間の特急列車として運行することができません。特急列車の座席配列は間に通路を挟んだ4列。20系客車では3段ベットでしたので座席には横3人しか座れませんので定員が大幅に減ってしまいます。また、寝台に腰掛けるとこになるので急行列車としては十分な設備でも昼間の特急列車としては快適性に大きく欠けることになります。

そこで目を付けたのが当時A寝台で使用されていたプルマン式A寝台という方式です。これはアメリカの寝台専門会社であるプルマン社が保有していた客車の多くがこの方式だったために名づけられました。

このプルマン式A寝台は昼間走行時は向かい合ったボックスシートで、夜間はそのボックスシートの背面と座面を同時にスライドすることで下段の寝台とし、壁に跳ね上げていた寝台を下すことで上段の寝台としていました。そこで581・583系はこのプルマン式A寝台の設計を変更することで581・583系のB寝台としたのです。

※B寝台がモノクラスの寝台でA寝台はその上級バージョンです。座席車でいうとA寝台がグリーン車、B寝台が普通車に当たります。

 

ここからはその車内設備を詳しく見ていきます。

 

急行の一等車並みの昼間の座席

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昼間の運転時

昼間の特急電車としての使用時は写真のようなボックスシートが並んでいます。当時の特急電車では回転式クロスシートという常に進行方向に向かって座る座席が一般的でした。581・583系は半数が進行方向と逆向きに座ることになるので他の特急形と比べるとこの点については劣りますが、人間工学を採用した座り心地の良い座席と急行形電車の一等車(グリーン車)よりも広いシートピッチ(座席間隔)から他の特急形と同格に扱われました。

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ボックスシートの様子

ヒジ置きは窓側は壁に埋め込まれた形のヒジ置きを使うことになりました。このヒジ置きは寝台として使用する際は枕元の小物置きに早変わり。メガネなどを置くことが出来ます。テーブルは窓際と通路側にはヒジ置きの中に装備されていました。テーブルの下の灰皿が時代を感じさせます。

この座席は3~4人のグループ旅行では最適な座席でしたが、1,2人での利用となると他人と向かい合うことになります。現在でも海外のほとんどの優等列車では進行方向と逆向きの座席が半数を占め、ボックスシートやコンパートメントでの相席も一般的であることからこのスタイルは日本向けというより海外向けだったのかもしれません。

 

A寝台と間違われた!?寝台列車としての使用

昼行列車として終着駅に到着するとすぐに車庫に引き上げ、夜行列車として運行するための準備が行われます。寝台の組み立て・解体の作業はかなり大変な作業だったので走行中には行われず、車庫で一般のお客様を載せない状態で行われることになっていました。ただし、臨時列車において走行中に行われた実績があるようです。

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枕カバーをめくるとツマミがある

枕カバーをめくるとつまみがあります。このつまみを使用して寝台の組み立てを行います。

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背面と座面を同時にスライドさせる

つまみを持ちながら座面を前にスライドさせるとフラットになります。これをボックスの両方とも行います。

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フラットにした状態

両側ともスライドさせると写真のようなフラットな状態になります。ここにリネン類を引くと寝台に早変わりです。背面の後ろには照明が取り付けられており、乗客が各自で操作することが出来ました。さきほども紹介しましたが、ヒジ置きは小物置きになります。また、寝台の際には寝たばこを防止するためか禁煙でした。

この下段ですが、20系客車のA寝台よりも幅が広く寝返りを簡単にすることが出来ると評判でした。これまでのB寝台はこれの半分ほどの大きさしかなく、基本的にA寝台はプルマン式寝台でB寝台は開放式寝台と区別されていたものですから本当にB寝台かと疑う人もいたそうです。ただ、A寝台は2段式、581・583系のB寝台は3段式ですから高さはA寝台に比べると狭かったようです。

話がそれましたがここからは中段と上段のセットです。

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網棚を跳ね上げて中段をセットする

実はこの網棚をどうするかということがこの昼夜兼用車両を開発する上で最大のネックでした。中段を壁から取り出そうとすると網棚と干渉してしまいます。昼間は他の特急形車両と同じように使用するので網棚を取り付けないわけにはいきません。しかし、民間の技術者が網棚を通路側に跳ね上がるという機構を思いつき、この方式が採用されることになりました。中段をセットしたあと網棚をもとに位置に戻し上段をセットします。

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あとははしごをかけるのみ

寝台のセットが終わると転落防止用の手すりをそれぞれの寝台にセットし、上段・中段に登るためのはしごを取り付けて完成です。その後、リネン類の準備を行い一連の作業は終了になります。

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はしご

はしごは車端部のはしご置き場から取り出して運び寝台に取り付けなければなりません。かなり思いはしごなので重労働であることには間違いなしです。

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中段の様子

中段のリネン類を準備する前の様子。下段には劣りますが、20系などの従来の車両と比較すると幅が1.5倍ほどあり、寝返りをすることが出来るほどのゆとりがあります。

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リネン類をセットした様子

それぞれの寝台に小物置きと小窓がありました。上段や下段と極力同じ環境になるようにと設計されていますが、実際には場所によって値段が違いました。寝るだけには十分な高さですが、備え付けの浴衣に着替えるのは少し窮屈だったそうです。

なお、パンタグラフ下は屋根が低いため上段を設けることが出来ず、その区画だけ2段式寝台になっています。この区画は高さが高いことからA寝台並みの空間が確保されており穴場として知られていました。

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上段の様子

上段は荷物棚の上に位置することになります。中段に比べると高さにゆとりがあるように見えますが、床から約1.5mほどの高さにあるので少し恐怖心を感じます。はしごの上り下りが大変ですね。上段にも中段と同じように小窓と小物置きがあり隠れ家感があります。

 

A寝台になれなかったグリーン車

581・583系は昼行特急として運行されたのでグリーン車の連結が不可欠でした。そこで国鉄は昼はグリーン車、夜は2段式のA寝台として使える車両の開発に乗り出します。当時の構想は前後にスライドする回転式リクライニングシートを装備し、背もたれをスライドさせてフラットにしフットレストと連結し下段寝台に、側壁から仕切りを出して寝台間を区切り、上段寝台は折り畳み式で外を見るための小窓が付くものでした。しかし、モックアップを製作してからだと時間切れになる可能性が高く実際は他の特急形と同じ座席のグリーン車を連結することで解決されました。ただ屋根の高さを他の車両に合わせたことから開放感が抜群だったそうです。このグリーン車ですが、夜行では料金面ではB寝台と大して変わりなく寝入っては困るという客層から人気を博したようです。

 

そのほかの車内設備

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洗面台

特急形電車ですので、もちろん洗面台があります。優等列車特有の設備ですね。

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トイレの表示灯がデッキと客室を隔たてるドアの上にある

便所使用知らせランプがデッキと客室を隔たてるドアの上にあります。便所使用中はこのランプが光るのでトイレに行かずしてトイレの有無を確認できました。トイレは洗面台と向かい合った位置にあります。温度計は国鉄の物からJR仕様に取り換えられていました。

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荷物置場

車端部には荷物置場が設けられていました。寝台にすると大きなカバンを置くスペースがなくなってしまいますので、スーツケースなどを置くには適した空間でした。また、冬場にはシュプール号として運転されたこともありますので、スキー用具を置くことにも使われました。

 

581・583系が活躍した列車たち

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一番右が583系の前面幕

581・583系は昼夜問わず使える車両として活躍しました。基本的に昼行の列車と夜行の列車で対になるような運用が組まれていました。昼行で行って夜行で帰る、夜行で行って昼行で帰るといった具合の運用が可能だからです。こうすることによって必要な編成数を大幅に減らすことが可能となりました。

581・583系が活躍した列車は大きく分けると関西(・名古屋)⇔九州の列車と関東⇔東北の列車に使用されました。間合い運用で北陸方面や九州内の特急に用いられたこともありました。特急列車は停車駅の違いから列車によって所要時間が異なりますが、この581・583系は寝台の組み立て・解体の時間を確保するために比較的最速達便に投じ、485系など昼行用の車両を遅い列車に使用されました(輸送量が夜行<昼行なので581・583系だけでは車両が足りない)。

 

新幹線の開業と分割民営化

1970年代後半には山陽新幹線が博多まで開通し、1980年代に入ると東北新幹線が開業しました。新幹線の開業に伴い在来線昼行特急は軒並み廃止になり夜行列車も減便を余儀なくされ、余剰車が発生しました。また、1980年には国鉄再建計画の一環でオイルショック以降の鉄道輸送の需要が低下している夜行列車の供給を調整しました。その結果、20系客車以降の新型客車で運転が可能となり、居住性・メンテナンスなどに難のある寝台電車の必要性が薄れ581・583系の定期運用が減少しました。

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九州鉄道記念館に保存されているクハネ581-8は715系0番台に改造された

1983年からは地方での短編成高頻度運転のために近郊型電車が多量に必要となりました。そこで余剰となっていた581・583系を活用して北陸本線向けに419系長崎本線佐世保線向けに715系0番台、東北本線向けに715系1000番台にそれぞれ改造されました。なお、581系は全車が715系0番台に改造されたのでこの時点で未改造のまま残存しているのは全て583系となります。

1984年には関西⇔九州系統の定期運用が終了し、1985年からは大阪~新潟間の夜行急行「きたぐに」に使用されることになります。「きたぐに」ではA寝台の需要が高いことからB寝台車をA寝台に改造する工事が施工されました。ただし、昼間使用時は普通車として運行されることになりました。

1987年に国鉄分割民営化がされ、近郊形に改造された車両を除くと583系JR北海道JR東日本JR西日本の3社に引き継がれました。そのうちJR北海道に引き継がれた車両は付随車のみで改造車の種車の確保が目的でしたが、結局台車のみがクリスタルエクスプレス トマム&サホロのキサロハ182-5101に流用され、残りは廃車されました。

JR東日本に引き継がれた関東⇔東北系統も1994年には定期運用を終了し、その後は臨時列車や団体列車などの波動用として2017年まで使用されました。

一方JR西日本では国鉄時代からの急行「きたぐに」定期運用のほか、「雷鳥」をはじめ「シュプール」、「シャレー軽井沢」、「東北夏祭り」、「あおもり」、金光教参拝団体列車(通称『金光臨』)、奥羽羽越沿線⇔京阪神修学旅行列車、寝台設備を活かした「ナインドリーム甲子園」「エキスポトレインわしゅう」にみる列車ホテルなどの波動臨時列車にも投入されました。

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JR西日本に譲渡され更新工事を受けた583系

JR東日本JR西日本では1990年代にそれぞれ別の更新工事を実施しました。特にJR西日本では更新工事の際に塗装が変更されました。また、JR西日本ではシュプール号に投入する観点からグリーン車を中心に改造が行われている車両があります。

しかし、夜行急行「きたぐに」は老朽化を理由に2012年のダイヤ改正で定期運用を終了、翌年2013年の臨時「きたぐに」をもってJR西日本583系は全車廃車されました(京都鉄道博物館に保存されることになった車両は2015年廃車)。また、JR東日本に所属していた車両も2017年に引退し先頭車1両を除いて廃車されています。

 

581・583系で旅をする

現在ではサンライズ出雲・瀬戸のみとなった寝台列車。夜行列車として定期的に運転されている臨時列車を含めても風前の灯です。2000年代に入るとLCCと呼ばれる格安航空会社や夜行高速バスの台頭で鉄道輸送の需要自体が減りつつあります。しかし、世界初の本格的な寝台電車として、昼は座席、夜は寝台という初の昼夜兼用という試みは唯一無二の存在でした。

冷暖房完備で「走るホテル」と呼ばれた20系客車の次に登場したのが581系。20系でもかなり快適だったのが、電車化による速達化とB寝台としては異例の広さから利便性を向上させます。後継の車両が開発されなかったことは残念ですが、ビジネス層からリゾート利用まで幅広い層に愛された車両として日本の鉄道の歴史には欠かせない存在です。

現在、581・583系京都鉄道博物館九州鉄道記念館、更には台湾に運ばれ台北にある鉄道博物館に展示されています。このほか、民間に譲渡された車両も数多く存在し日本各地で見ることが出来ます。ぜひ581・583系が活躍したころを想像しながら旅をお楽しみください。

 

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