鉄道ファンが行くお出かけ雑記

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【おすすめ】歴史を学び未来を考える舞鶴探索記 2020/6/7 舞鶴①

皆様お久しぶりです。約1ヶ月ぶりの更新となります。学校再開後、予想以上の多忙さに更新が停滞しておりました。今後もこんな感じで急に更新頻度が低下することもあるかもしれませんが、ご了承を。

 

さて先月の6月7日、新型コロナウイルス感染拡大防止のための外出自粛期間を終え、久しぶりの羽を伸ばす先として選んだのが舞鶴京都府民である私にとって舞鶴は府内の移動となりますし、前々から訪問してみたいとおもっていたところでもありました。

 

目次

 

舞鶴ってどんなとこ?

京都駅から特急「まいづる」号で約1時間半。終点の東舞鶴駅に到着します。

舞鶴は東舞鶴と西舞鶴という歴史的にも地理的にも大きくかけ離れた二つの町があります。西舞鶴室町時代から安土桃山時代にかけて丹後の国府として発展し、その後は田辺城の城下町として発展した関係で数多くの史跡が点在しています。一方の東舞鶴は江戸時代までは浜村で漁業を中心とした田舎町でありましたが、明治時代に日本海側唯一の軍港として舞鶴鎮守府が設置されたため旧海軍にまつわる施設が数多く残されています。現在でも海上自衛隊の基地が設置されています。

今回は家族全員で舞鶴観光をした都合上、京都縦貫道で舞鶴に向かいました。

 

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海上自衛隊の船舶が目に留まる

舞鶴の町へ着くと舞鶴港に停泊する数々の自衛隊の船舶が目に飛び込んでくるのではないでしょうか?ねずみ色一色に塗装され船首には数字が大きく書かれたその姿。自衛隊の船って普段あまり見ることが無いと思いますが、舞鶴に行くと必ずと言っていいほど自衛隊の船舶を見ることが出来ます。

 

赤れんがパークで明治時代にタイムスリップ

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まるでタイムスリップしたような光景だ

東舞鶴駅から徒歩15分。海上自衛隊の横には赤レンガの倉庫群が立ち並びます。明治時代から大正時代にかけて建造されたこれらの建物は、旧海軍の倉庫として使用されていました。

12棟あるこれらの倉庫群のうち1から5が舞鶴市、6から8が日本国、9から12が海上自衛隊の所有で今でも現役の倉庫として活用されており、海上自衛隊の所有の物以外が国の重要文化財に指定されています。

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倉庫群に線路が引き込まれていた

東舞鶴駅から倉庫群のある中舞鶴までは中舞鶴線という国鉄の路線がありました。この中舞鶴線は軍事目的の強い路線で舞鶴鎮守府の兵員と軍需資材の輸送を目的として1919年に建設されました。戦後は特殊貨物輸送で賑わいを見せたが、その後に国道が整備され、輸送量は減少、国鉄も鉄道の使命は終わったものとし、1972年に廃止されました。

その中舞鶴線の名残が倉庫群にあり、倉庫内に引き込まれている線路は京都や大阪から運ばれた資材を倉庫内に運びこむために使用されていました。

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倉庫内に線路が引き込まれている様子

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屋根に設置されているクレーン

貨車で運ばれてきた資材はすぐにクレーンで吊り上げられるような構造になっています。

 

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赤れんがパーク内に保存される入れ換え用機関車

赤れんがパークではこの赤れんが倉庫群で活躍した入れ換え機関車と中舞鶴線についての資料が展示されているので要チェックです。

 

 

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明治時代に建造された倉庫

明治時代に建造された倉庫はヨーロッパから輸入した技術をふんだんに使用した作りになっています。屋根の下や窓上などに注目していただくとよくわかると思いますが、装飾がされていることがよくわかります。

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大正時代に建造された倉庫

大してこちらが大正時代に建造された倉庫。先ほどの写真と比較していただくとよくわかると思いますが、屋根下の装飾などが少なくなっており比較的シンプルな構造をしていることがお分かりいただけると思います。これは少しでも予算を使わないように建設した結果なようでして、明治時代から大正時代に時代が変わり日本も近代国家として大成していくなかで現れた変化だそうです。

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れんがの表面に花形の押し印のようなものが見られる

舞鶴鎮守府を建設するにあたり日本全国かられんがが集められました。これだけのれんががあったとするといくつか不良品が混ざっていてもおかしくないのですが、製造所ごとに押し印を決めてそれをれんがの表面につけることでどこの製造所のれんがか一目で分かるようにしたそうです。写真の花形の焼き印は大阪の堺のものなんだとか。

 

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ところどころ黒くなっているところが見受けられる

赤れんが倉庫を見ると少し表面が黒ずんでいるところが見受けられると思います。これは経年劣化によるもの…ではなく太平洋戦争の頃、赤れんがだと上空からよく目立ってしまい爆撃の標的にされないように黒く上から塗っていたそうです。兵器などを収納している倉庫が爆撃されると大変なことになりますからね。戦後、その塗装は落とされ今のような赤れんが姿に復元されたのですが、一部塗装が落ちずに残っているそうです。それが写真の黒ずみの原因となっているわけです。

 

 

基本情報
名称 舞鶴赤れんがパーク
所在地 京都府舞鶴市字北吸1039番地の2
電話番号 0773 66 1096
休館日 12月29日〜翌年の1月1日(設備の保守点検整備又は施設工事により休館することがあります)
開館時間 午前9時〜午後5時まで(ただし、夜間に賃館利用のある場合は午後10時)
料金 大人410円(団体:310円) 大学生・高校生200円(団体:100円)
駐車場 赤れんがパークの西側150mの位置にあります。護衛艦「しらね」主錨が目印です。
HPアドレス https://akarenga-park.com/index.html

 

昼食はこれで決まり!海軍カレー

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海軍カレー

舞鶴に来たらお昼ご飯はやはりカレーです。ちなみに海軍カレーはどこでも基本同じ味、海自カレーは艦艇によって味が少し違うそうですよ。舞鶴は肉じゃがも有名ですので肉じゃが丼もお昼には最適ですね。

 

舞鶴赤れんがガイドツアーで限定公開の倉庫群を見学

舞鶴赤れんがガイドツアーが毎週土日に開催されており、ガイドによる解説を聞きながらそのツアーに参加すると限定公開の施設を見学できます。

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国所有の倉庫を見学する

舞鶴市所有の第1棟から第5棟までは赤レンガパークとして整備されているのですが、国(文部科学省)が所有している第6棟から第8棟までは手つかずのまま残されています。

このツアーでは特別にガイド付き添いのもと、第7棟(だったはず)を見学することが出来ます。

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倉庫の入り口

終戦後からそもままになっているためか「部外者乃立入禁止」の看板がなんとも古めかしい感じ。見た感じ廃倉庫って感じですね(そのまま)。ちなみにセキュリティーに関してはさすが国所有の物だけあって完璧。ボロそうな倉庫だからと言って勝手に立ち入ると自動で通報されるような仕組みになっているようです。

 

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第7棟の倉庫内の様子

倉庫内は前述の通り、現役当時そのままになっているようで真ん中には線路が引き込まれています。柱は木、壁は塗り壁と先ほどの倉庫とはまた大きく雰囲気が違うことが分かります。現役当時、この倉庫では水雷が保管されていたそうです。

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運ばれてきた水雷はここから2階に運ばれた

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2階に上がる階段

この倉庫には2階が設けられていてるのですが、床板の劣化により現在は立ち入ることができないとのこと。2階には沢山の水雷が保管されていたそうです。

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消火栓

倉庫内には消火栓が残っていたのですが、注目すべきは消火栓という文字の上の⚓(読み込めない方もいらっしゃると思いますが錨の絵文字を使用しています)のマーク。これは海軍を表す記号だそうでして、舞鶴ではこの錨のマークをたまに見かけることがあります。

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倉庫内にカビが生えている

現役当時そのままの様子で保存されているというのは貴重なことなのですが、砂地で近くには海があるという立地の都合上、庫内にはカビが生えてしまっています。貴重なものですので、もう少しきちんと整備していただきたいというのはやまやまです。カビが酷くなると一般人が今後入れなくなるということもありますので見学はお早めに。

 

レンガの壁がそびえ立つ!旧北吸浄水場を見学

ガイドツアーでは倉庫群の見学後は赤レンガパークを少し離れて北吸と呼ばれる地区へ向かいます。赤レンガパークから北吸までに至る道は舞鶴線の支線であった中舞鶴線廃線跡を通ることになります。道沿いには防空壕などといった施設の跡もいくつか見ることが出来ます。

 

途中、自衛隊の官舎があるところのすぐそばの道を左に曲がり坂を上っていきます(どこで曲がるのか写真を撮っておけば良かったですね)。

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自衛隊の船舶を見下ろすことができる

この坂を上るとなんと、自衛隊の船舶を上から見下ろすことが出来るのです。一般人が自衛隊の船舶を見下ろせるというのは日本全国ここだけだそうでして、日本全国から自衛隊マニアの人たちが多数集まるのだとか。

 

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旧北吸浄水場

坂を登りきると、れんが造りの建物が見えます。これは旧北吸浄水場といって、海軍が1901年の舞鶴鎮守府開庁に向けて、軍港内の諸施設と艦艇用に大量の飲料水を確保するために建設されました。坂の上に建設されたのは防犯(飲料水に毒薬を入れられないようにするため)と、素早く船舶に給水するためだからだそうです。

 

このガイドツアーではこの旧北吸浄水場の内部を見学することができるのです。通常は非公開ですので、なかなか貴重な経験をすることができますよ。

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旧北吸浄水場の内部の様子

中に入ってまず初めに目に留まるのは、ずらっと奥まで立ち並ぶ壁ではないでしょうか?これは水が澱まないための工夫だそうで、水の流れを作ることで雑菌の繁殖を防ぐ狙いがあるそうです。先人の知恵の凄さを感じさせます。

 

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見学ツアーでは貯水池の下部に降りることができる

私の参加したツアーでは現役当時、水が貯水されていたところに降りて見学することができます。インスタ映えスポットとして有名で(私の撮影した写真の中には一枚も映えている写真はなかったです泣)、これを目当てにしてこのツアーに参加される方も多いようです。

写真の場所は、貯水池に貯めるための水が写真に写っているパイプを通って落ちてくる場所のようです。左上の板が水が貯水池の限度を超える無いようにするための工夫なのだそうです。

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高い壁がそびえ立つ

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水が排水される場所

貯水池としての名残か、完全に水は抜けきっておらずところどころ湿っているのが特徴。こちらは給水のために貯水池から水が排出される場所のようです。

 

基本情報
名称 舞鶴赤れんがガイドツアー
開催期間 通年 土日祝
毎週木曜日(年末年始を除く)
時間 10:30~12:15頃[10:20集合]
料金 2,000円(小学生以下無料)
集合場所 赤れんがパーク2号棟(市政記念館)集合
立ち寄り場所 赤れんがパーク内(旧舞鶴鎮守府軍需部倉庫)・旧北吸浄水場配水池
アクセス お車でお越しの方:赤れんがパークの駐車場をご利用下さい。
募集人数 最大12名、最少催行人数2名、受付最少人数1名
募集期間 5日前までにご予約が必要です
※当日参加頂ける場合もございますので、参加の可否については直接お問い合わせ下さい。
お問い合わせ 0773-77-5400(当日連絡先:0773-66-1096) 
HPアドレス http://www.maizuru-kanko.net/spot/sightseeing/akarengatour.php

 

赤れんが博物館でれんがのことを知る!

赤れんが第一棟では赤れんが博物館として世界中のれんがが展示されています。世界唯一のレンガに特化した博物館だそうで、ヨーロッパからアジアまで世界各地のれんがが展示されています。時代や地域によってさまざまなれんががありますので比べながら見てみると面白いと思います。れんがの製法についても解説されていますので、ここに行くとれんが博士になったような気分になりますよ!!

※赤れんが博物館の写真は撮り忘れました。

基本情報
名称 赤レンガ博物館
住所 京都府舞鶴市字浜2011番地
電話番号 0773-66-1095
HPアドレス https://akarenga-park.com/facility/facility_01.html
営業時間 9:00~17:00 (入館は16:30まで)
休業日 12/29~1/1
料金 一般:400円 / 学生:150円 (団体割引300円)
・赤れんが博物館と引揚記念館の共通券があります(600円)
トイレの有無 有り

 

大迫力!海軍ゆかりの港めぐり遊覧船に乗って自衛隊の艦艇に急接近

護衛艦や造船所など海軍にゆかりのある場所を海の上から眺めることが出来ます。

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遊覧船に使用される船

私が乗船したのはこちらの交通安全協会が運行する新型船「まいづる」。冷暖房完備ですので、真夏や冬の時期でも安心です。

 

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遊覧船に使用される船は二隻ある

舞鶴湾遊覧船もこの港めぐり遊覧船に使用されているそうです。こちらの船は舞鶴湾の島々へのアクセス用として建造されたのだとか。

 

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イージス艦

この港めぐり遊覧船の最大の魅力は、なんてったって大迫力の自衛隊の艦艇の数々。遊覧船自体は小型の船ですが、それの何十倍もの大きさの艦艇に急接近します。見上げるような大パノラマを堪能することができます。

 

 今回、私が遊覧船の乗船中に撮影した写真(ブログに未掲載のものを含む)を以下の動画にまとめております。船に遊覧船に乗船すると動画のような大迫力の自衛艦を堪能することができますよ!沢山の艦艇が登場しますのでぜひご覧ください。


【舞鶴】「海軍ゆかりの港めぐり遊覧船」に乗ってきた

海軍ゆかりの港遊覧船の乗船料金は大人:1,300円(税込)、3歳~12歳:700円(税込)、2歳以下:無賃です。

 

舞鶴引揚記念館でシベリア抑留について考える

読者の皆様もご存じのことかと思いますが、第二次世界大戦ソ連日本兵をシベリアに強制的に抑留し過酷な肉体労働に従事させていました。シベリアで抑留されていた旧日本兵たちが日本に引き揚げてきたのがこの舞鶴港でした。

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引き上げ当時のものではないが、引揚者たちはシベリアからこの地にある桟橋に到着した

その引き上げ者たちの証言や持ち帰ったものなどを中心に展示されている舞鶴引揚記念館があります。第二次世界大戦下での日本人の生活について紹介もありますが、なんといってもシベリア抑留について大変考えさせられる博物館であります。終戦後、シベリアをはじめとするソ連領内の各地へ連行された日本兵はマイナス30度を下回る厳しい環境で強制労働を強いられました。衛生環境や食料事情も悪く、飢えや病気によっておよそ6万人が命を落としました。収容所によって大きく環境が違ったようでソ連国民との交流があった収容所もあったようです。しかし、同じ敗戦国であるドイツ兵と共に戦争によって大きな被害を被ったことからの復興に従事されたそうでした。ソ連の冬は大変に寒く、冬を越せずに亡くなってしまった方も大勢いらっしゃるそうです。また、抑留者には十分な食料が与えられず、スプーンなどの食器も自分たちで作らなければなりませんでした。わずかな黒パンやスープを仲間と分け合いましたが、日に日に痩せ細り、栄養失調に陥りました。

これまで、シベリア抑留という出来事があったということに関しては学校の教科書などで知る機会はありました。しかし、シベリア抑留中の環境について詳しく知り大変に衝撃を受けました。ぜひ、舞鶴に行かれた際には舞鶴引揚記念館を見学されることを強くお勧めします。

基本情報
名称 舞鶴引揚記念館
住所 京都府舞鶴市字平1584番地
電話番号 0773-68-0836
HPアドレス http://m-hikiage-museum.jp/
営業時間 9:00~17:00 (入館は16:30まで)
休業日 毎月第3木曜日(祝日を除く)、12/29~1/1
料金 一般:400円 / 学生:150円 (団体割引300円)
※ただし、舞鶴市内在住、在学者の学生は無料
・赤れんが博物館と引揚記念館の共通券があります(600円)
トイレの有無 有り

 

筆者の舞鶴観光コース

私が舞鶴を観光した際に周った順番と時間をまとめたものです。ご旅行の際の参考にしてください。

赤レンガ博物館(9:00)

↓ 所要時間約2時間

舞鶴赤れんがガイドツアー(10:30)

↓ 所要時間約1時間半

昼食・赤れんがパーク見学(12:00)

↓ 所要時間約2時間

海軍ゆかりの港めぐり遊覧船(14:00)

↓ 所要時間約30分

舞鶴引揚記念館(15:00) 赤れんがパークから車で移動

↓ 所要時間約1時間半

帰宅

 

 

【黒い巨塔】松本城を散策する 2019/5/6 長野

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特急「あずさ」

新宿から特急「あずさ」で3時間、名古屋から特急「しなの」で2時間。長野県の中央部に位置する松本に到着します。

松本市日本アルプスに囲まれ、上高地方面から流れ出す梓川が市の西部を流れ奈良井川が市を二分するようい流れています。気候は典型的な内陸性気候で比較的湿度が低いものの気温の変化が激しいところでもあります。

 

そんな松本ですが、今では国宝に指定されている松本城の城下町として発展し、幸い戦火を逃れたことから貴重な歴史的文化財の数々が現存しています。

 

国宝に指定されている「松本城」を散策する

松本駅から歩くこと20分。松本城に到着します。

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松本城

あまり一般的な角度からの写真ではないですが、お気に入りの一枚。

木の緑と松本城の力強さが引き立てあい、男らしい勇ましさを感じさせてくれるような気がするのですが、いかがでしょうか(笑)

 

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太鼓門

こちらの太鼓門を通り松本城に入ります。

太鼓門の北側門台上には太鼓楼がありました。鐘と太鼓が備えられ、時を知らせる等、家臣に情報を伝える役割を果たしていました。この楼があったので門を太鼓門と呼ぶそうです。江戸時代には倉庫として活用されていましたが、明治になってから解体、平成11年に復元工事が行われました。

 

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さて、この松本城は戦国時代の永正年間(1504-1520年)に、信濃守護家小笠原氏(府中小笠原氏)が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれています。その後、甲斐の武田氏の支配下に置かれたものの織田信長豊臣秀吉といった戦国時代を生き抜いた武将たちからの実質的な支配下に置かれることになります。

江戸時代には松平家や水野家といった幕府内でも有力な譜代大名が城主を務めることになります。

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天守閣を眺める

松本城は典型的な平城ですが、現存12天守の中では唯一の存在だとか。

真ん中にある一番大きな天守が5重6階の大天守、大天守北面(写真右側)が乾小天守、東面(写真左手前)に辰巳附櫓・月見櫓を複合した構造になっています。

戦国時代建造の城ということもあり、天守閣はどちらかと言えば「守り」に特化した構造になってるのが特徴です。どちらかと言えば、質実剛健。「見た目よりも中身」を優先したような雰囲気です。

戦いを想定した備えとして、大天守、渡櫓、乾小天守の三棟には、鉄砲狭間(さま)・矢狭間という弓や鉄砲を放つための小さな窓を115か所設置し、一階壁面の一部を外に張り出してその床面を開け蓋をつけた、鉄砲を撃つための石落を11か所あります。天守の壁は一・二階で約29センチメートルと厚く、また内堀幅を火縄銃の高い命中精度が維持できるぎりぎりの約60メートルとして、鉄砲戦の備えを持っています。

 

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月見櫓

しかし、月見櫓(赤い手すりがついているところ)だけは大きく雰囲気が違うことがお分かりでしょうか?煌びやかな印象を受けますね。これは、第3代将軍、奥川家光が長野の善光寺に参拝する途中で、松本に立ち寄るという内意を受けたため、当時の藩主、松平直政が建てました。赤い欄干を配して、風雅な雰囲気を持っています。家光の善光寺参拝は中止になりましたが、天守に付属する月見櫓としては唯一の遺構となりました。 平和に繁栄した江戸時代に作られたことだけあって「守る」必要がないのでこのようになっているというわけです。世の中が荒れに荒れた戦国時代にこのようなバルコニーのような空間を作ったとしたら簡単に外から襲撃されてしまいます。戦国時代と江戸時代という時代の変化が感じられるところで私のお気に入りの空間です。是非ともイベントか何かで月見櫓から月を見てみたいものです。

 

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花と松本城

天守の前は芝生や植木で整備された空間が広がっています。

ここは元々本丸御殿がありました。しかしながら1727年に焼失したことから本丸での執務を二の丸御殿に移して続けられました。写真では分からないですが、本丸御殿の形が分かるようにブロックで示されています。

日本の城の天守はどちらかと言えばサブ的な存在で、メインとなるのは天守のそばに広がる平屋の本丸というわけでした。主に天守は武器庫などとして使用されることが多かったようですね。

 

天守の中に入って見学をすることができます。

天守の中では様々な防具や武器の展示があったように記憶しておりますが一切撮影しておらず…一年前の自分に苦情です(苦笑)

 

天守の頂上からはあたりの風景を眺望することができます。松本城は先に述べた通り平城ですので、あまり高い印象は受けません。しかし、城を中心に市街地が広がっているので360°全方角の町並みを眺めることができます。

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東側の風景

ご覧にいただいてるのは東側の風景です。手前が先ほど紹介しました本丸御殿跡、その奥の木が生えておらず芝生の広場になっているところが二の丸御殿跡です。二の丸御殿は本丸御殿焼失後、主に執務を執る場所として使用され明治維新以降は筑摩県庁として活用されたものの、1876年の不審火により焼失しました。跡地には1878年に松本地方裁判所が建ったものの1978年に北側に移転、旧庁舎は島立地区に移転されました。

 

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南側の風景

松本城を中心に本丸、二の丸一帯を松本城公園として市民の憩いの場としても使われています。天守閣南側には内堀を挟んで外側が無料エリアとなっており、自由に立ち入れる区画になっています(堀の内側は有料エリア)。この松本城公園には松本市立博物館があります。この博物館では松本市の成り立ちや発展、松本で発見された遺跡などが詳しく紹介されています。松本の歴史について詳しく知りたい方はぜひお立ち寄りください。

松本城公園の外側一帯を三の丸と言い、江戸時代には松本城の一部でした。痕跡を頼りに復元工事が一部進められているそうですよ。

 

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西側の風景

この辺りも松本城公園の一角です。松本城公園では四季を通じて各種イベントが開催されています。

内堀には白鳥や鯉など様々な生物が生息しています。松本城見学後はお堀の周りを散策されるのが良いかも知れません。

…って下ばっかり見ていてもいけませんよ。しっかり遠くの風景も見ないといけません。日本アルプスの山々が遠くに見えます。雪が頂上に積もっているのがそれです。

 

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北側の風景

下に見える大きな屋根は乾小天守です。高さの違いがよく分かります。北側を見ると山が他の方角に比べて近いような気がします。松本は盆地地形。ちなみに私の住む京都府南部も盆地地形なのでなんとなく親近感が(笑)チーム盆地です。

 

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日本アルプス松本城

先ほど天守から日本アルプスの山々がよく見えましたので、城を出てから日本アルプスと松本を絡めて撮影。天気が良かったのが幸いでした。松本市立博物館に入る階段の上から撮影するのがおすすめですかね。かつての松本城の城主たちも日本アルプスの美しい山々を眺めながら過ごされたのでしょうか。

この写真を撮影して松本城をあとにします。

 

松本城公園の基本情報

名称 国宝松本城
所在地 長野県松本市丸の内4番1号
電話番号 0263-32-2902
開場日 年末(12月29日から31日)を除き無休
開場時間 8:30~17:00(最終入場は16:30まで)、時期によって変動あり
料金 天守(本丸庭園内)のみ有料、大人700円、小中学校300円
駐車場 あり
アクセス JR篠ノ井線 松本駅から徒歩20分 長野自動車道 松本ICから国道158号松本市街地方面へ向かい約3.5km(約20分)
HPアドレス https://www.matsumoto-castle.jp/access

 

城下町松本の見どころ

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中町通り

中町通りは白壁と黒なまこの土蔵が立ち並び、時代をさかのぼったかのような風景が広がります。白と黒が織りなす町並みに安らぎや懐かしさを覚えます。城下町ならではの雰囲気を感じられる地区でもあります。松本の名産品やお土産などを販売するお店が立ち並ぶので信州のお土産を買うにはもってこいの場所ではないでしょうか?

中町通りの一本南には人形店が軒を連ねる高砂(たかさご)通りもあり、この界隈は歩いてこそ風情が楽しめる通りです。

 

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松本市美術館

松本城の近くには松本市美術館があります。

水玉模様で有名な松本市出身の芸術家・草間彌生の作品展示のほか上條信山や田村一男などの展示室があり、非常に常設展が充実しています。玄関横には草間彌生の作品《幻の華》を野外展示しています。草間彌生の水玉模様の世界に触れたり、松本の美しい風景を舞台とした絵画を見たりすることができますよ。

松本市美術館の基本情報

名称 松本市美術館
所在地 長野県松本市中央4-2-22
電話番号 0263-39-7400
休刊日 月曜日(祝日の場合は次の最初の平日)、 年末年始(12月29日~1月2日)
開館時間 9:00~17:00(入場は16:30まで)
料金 大人410円(団体:310円) 大学生・高校生200円(団体:100円)
駐車場 あり
アクセス JR篠ノ井線 松本駅から徒歩12分 長野自動車道 松本ICから車で15分
HPアドレス http://matsumoto-artmuse.jp/

【特急「くろしお」で飲みたい】「飲むみかん」ジュース

和歌山と言えばアドベンチャーワールド、海…あとはみかん!ということで和歌山の名産品「有田みかん」100%の「飲むみかん」ジュースのご紹介です。

 

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飲むみかん

早速外観から見ていきましょう。

瓶の大きさは比較的小さめで手のひらサイズです。デザイン自体は比較的シンプルですが、ジュース自体のオレンジ色がそれがオレンジジュースであることを物語っています。あえて何かほかに言うこともないでしょう。

強調された100%の文字、「飲む」という文字からかなり濃厚であるということが伝わってきます。

 

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裏面を見ると「飲むみかん」の説明があります。ストレートであることを強調されています。みかんの皮をむいた写真も素敵です。

 

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待ちきれないので飲んでみましょう!

飲んだ瞬間みかんの味です。柑橘系って全般的に酸味を感じますが、酸っぱくない!少しトロリとしていてみかんの甘さがそこにあります。後味も残らないのでさっぱりしています。酸味が苦手な方でも全然飲んでいただける味わいです。

内容量が180ml。ちょっともの足りないような気もしますが、口の中はみかんでいっぱいです。

 

この「飲むみかん」は皮を剥いて薄皮ごと搾る「チョッパー・パルパー方式」という方式で搾取しているそうです。これがトロリとしてるのに後味はさっぱりしている理由だそうです。更に、皮の油分が入らないので果汁の鮮度が保たれ、繊維質などの栄養分もたっぷり含んでおり、栄養価も高いんだとか。

ちなみに一般的なホテルの朝食などの絞り立てジュースは「インライン方式」と言ってみかんの皮ごと絞る方式が使われています。この方法だと甘みとコクがあまり感じられないそうで。

 

この「飲むみかん」ジュースは白浜駅などでも販売されているそうです。特急「くろしお」に乗車して和歌山の海を眺めながら、この「飲むみかん」ジュースを飲んで和歌山の旅をお楽しみください。

 

 通販でも販売しております。あまり遠方へは出かけられないご時世ですが、ご自宅で和歌山の味をお楽しみください。

 

 

【引退記念】追憶の赤胴車で行く阪神武庫川線の小さな旅 2019/11/10

阪神電車といえば、大阪梅田の地下ホームから出発して尼崎や西宮などを経由して神戸三宮、神戸高速鉄道山陽電車に直通して姫路まで至るオレンジと青の電車…という認識をされる方が一番多いのではないでしょうか?

近年では難波へ至る路線も開通し、奈良と神戸を向かう列車も運転されています。

阪神電車を日ごろから利用していて親しみを持たれている方、阪神電車に乗ってみたい!と思われている方はもちろん、阪神電車とはなんぞやと思われている方も最後まで読んでいただければ幸いです。

 

目次

 

赤胴車・青胴車とは?

阪神電車では優等列車普通列車で使用する車両が大きく違います。

 

優等種別に使用される赤胴車

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直通特急、特急、急行などで使用される8000系電車

直通特急、特急、急行で使用される車両はオレンジを基調とした6両編成の車両です。

車内はロングシートを基本としていますが、一部転換クロスシートを設置している車両もあり、都市圏の短距離の利用から長距離の利用まで様々な利用に対して対応できる車両になっています。

 

そんな優等種別に使用される車両ですが、かつては上半分がクリーム、下半分がオレンジパーミリオンを配した写真のような塗装になっていました。

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spaceaero2 - 投稿者自身による作品, CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=12049251による

この塗装を「赤胴車」とファンの間で呼ばれるようになりました。この塗装1995年まで製造された8000系まで採用され続けました。

<a title="w:ja:" class="extiw" href="https://en.wikipedia.org/wiki/ja:">日本語版ウィキペディア</a>の<a title="w:ja:User:Sakamoto hiei" class="extiw" href="https://en.wikipedia.org/wiki/ja:User:Sakamoto_hiei">Sakamoto hiei</a>さん - <a class="external text" href="https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Hanshin_9000.jpg&amp;oldid=4347867">File:Hanshin 9000.jpg</a> (アップロード日: <span style="white-space:nowrap">2006年1月28日</span>), パブリック・ドメイン, <a href="https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=55122721">リンク</a>による

日本語版ウィキペディアのSakamoto hieiさん - File:Hanshin 9000.jpg (アップロード日: 2006年1月28日), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=55122721による

しかし、1996年に落成した9000系は赤とグレーの帯というこれまでの阪神の車両とは大きく変わった塗装で登場しました。

阪神9300系

また、2001年投入の9300系では、8000系以前の車両と同じツートンカラーながらも配色が変更され、プレストオレンジ(上半分)、シルキーベージュ(下半分)という赤胴車とは上下逆の塗装に変更されました。

阪神1000系

さらに2006年に落成した1000系はオレンジを基調とした塗装ですが、塗り分けを大きく変えた塗装となりました。この配色には近鉄奈良線難波線に直通可能な車両という意味も含まれており、前述の9000系近鉄直通対応工事を施工した際に同じ塗色に変更されています。

 

2001年から8000系のリニューアル工事を開始、8000系リニューアル車は9300系に準じた塗装に変更されたため、本線上から赤胴車が消滅しました。

 

高加速度で駆け抜ける青胴車

阪神5131形

阪神では駅間の距離が短いので高速で走る優等列車から逃げ切るためには普通列車に高加減速性能が求められます。そこで高加減速性能を持った普通列車専用車両が使用されています。これらの車両は「ジェットカー」と呼ばれ、『従来の車両をプロペラ機にたとえるならこの車両はジェット機に匹敵するぐらいの加速・減速の良さである』という比喩から名付けられました。

ジェットカー」は青を基調とした塗装が採用されており5500系までの車両は上半分がクリーム、下半分は青という塗分けでした。このことから赤胴車に対しての表現として「青胴車」とも呼ばれました。

なお、5500系以降は赤胴車と同様に塗分けが変更されています。

 

最後まで「赤胴車」が残った武庫川線

阪神大阪梅田駅から急行で13分。武庫川を渡る鉄橋の上に駅が設置されている武庫川駅に到着します。

武庫川駅

神戸寄りにあるスロープを降りると改札口へ。二か所あるうちの片方は不正乗車対策用の武庫川線用の中間改札です。

改札を抜けると「赤胴車」の武庫川線用車両がホームに停車していました。

ホームに停車中の武庫川線

武庫川線で使用されているのは2015年に8000系のリニューアル工事が完了したことで本線上から消滅した赤胴車。しかし、武庫川線で使用されるのはかつて本線上で特急や急行として活躍し、武庫川線に転用された7890形と7861形で運転されていました。

しかし、本線上で普通列車用のジェットカーとして活躍していた5500系がワンマン改造の上2020年6月3日より運転を開始、7890形と7861形は老朽化により引退することになりました。

 

今回乗車した編成

私は約半年前に訪れていましたので、使用されていたのは7890形と7861形。私が乗車したのは7866-7966編成でした。

 

武庫川線ではワンマン運転が行われている

武庫川線武庫川から武庫川団地前の約1.7㎞を約5分かけて走行します。日中は20分間隔で全列車が2両編成のワンマン運転です。

昭和43年製造

乗車した7866号車は昭和43年の製造。約52年間活躍していたというわけです。50年を超える鉄道車両はかなり貴重な存在です。

 

終点の武庫川団地前までたった5分の旅です。

武庫川駅の次の東鳴尾駅武庫川線で唯一交換設備を有する駅。朝ラッシュ時などはここで交換を行います。東鳴尾駅と次の洲先駅の間はたったの400m。これは阪神電車の駅間距離の中で一番短いそうです。

終点の武庫川団地前に到着

そして終点の武庫川団地前駅。ここは団地の中にあるこじんまりとした駅です。大手私鉄の駅というよりかは地方私鉄の駅といった雰囲気の方が強い気がします。

 

youtu.be

武庫川団地前駅から武庫川駅の走行音をYouTubeにて公開しております。

 

最後は5001形「ジェットカー

7890形・7861形引退に伴い、阪神の伝統的な「赤胴車」「青胴車」塗装は本線で普通列車として活躍する5001形「ジェットカー」の青胴車塗装のみとなりました。

阪神5001形

しかし、この5001形も後継の5700系の登場に伴い廃車が進んでいます。乗るも撮るも今のうちといったところです。

 

いかがでしたでしょうか。

鉄道会社の「顔」となるのはやはり車両。その中でも塗装は格別なものです。新線開業の際に一新されたり、何かの記念で変更されたり…会社のイメージとして定着することになるので、重要なものといえます。

武庫川線では現在5500系が2両編成に短縮されて活躍していますし、本線では5001形が最後の活躍をしています。この記事が阪神電車について知る良い機会になればと思います。

 

 

【体験記】大阪府北部地震から2年…

今日で大阪府北部地震から2年。私が生まれてから東日本大震災新潟県中越地震熊本地震など数々の自然災害がありましたが、自分がその場に居合わせたという理由であれほど強烈に印象に残っている災害はありません。

災害についてといいますか、今日のことと考えまして色々と感じることがありますので書き綴っていきたいと思います。最後までお付き合いください。

 

あの日、私はいつもと同じように家の最寄り駅から学校に行くために列車に乗り込みました。

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最寄り駅から京都駅へ向かう

乗車したのはこの年の春から営業を開始した205系1000番台。阪和線で活躍していたものの阪和線に新型車両225系5100番台が投入されたことで余剰となり、103系を置き換えるべくして奈良線に転属してきました。初めはかなり新鮮な存在でしたが、この頃になると段々と慣れてきたころでした。

 

京都駅で東海道線に乗り換え、学校の最寄り駅へ。

ちょうどその最寄り駅に到着し乗っていた列車を見送った次の瞬間でした。

 

2018年6月18日7時58分39秒、近畿地方大阪府北部を震源とする強い揺れに襲われました。

揺れが始まった瞬間、大きな地響きと共に大きく揺れ始めました。突然のことでしたので一瞬自分が目まいでも起こしたのかと思いました。でもその次の瞬間、それが地震であることに気づき死を悟りました。揺れている間、しゃがむべきなのか柱に摑まるべきなのか冷静な判断ができず、ただ立ち尽くすばかり。しばらくすると揺れが小さくなってきたので、生き残ることができたという安堵がありました。

 

揺れが収まり、辺りを見渡してみるとそこまで目立った変化はなく、ただ吊り下げられている駅名票と発車標が大きく揺れているだけでした。ただちょうど私が乗車していた下り列車が発車した直後で、上り列車の普通列車と新快速列車が駅に接近していたタイミングでしたので、駅から数100mほど離れたところにいくつかの列車が非常停止していました。

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駅から避難後に非常停止した列車を撮影した

反対側のホームで上り列車を待つ乗客の中にはしゃがみ込んだままの人もいましたが、誰一人パニックを起こすことなく駅案内に従って避難を始めました。

 

一旦学校まで徒歩で向かいましたが、その日は終日臨時休校になりましたので帰宅する必要がありました。ところが、近畿圏の交通は地震の影響で安全確認に時間を要していました。仕方がないので親に車で迎えに来てもらうことになりました。しかし、私と同じように家路に急ぐ人たちで道が大渋滞してしまいました。このまま渋滞が解消されず、いつまでも家に帰れない可能性が出てきたので、自宅の方向に向かって歩き出しました。

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非常停止したまま2時間程度が経過した東海道新幹線

自宅の方向へ帰るには東海道新幹線の高架をくぐらなければなりません。地震から2時間近くが経過していましたが、地震の瞬間非常停止したままでした。車内から出ることもできず車内にがん詰めです。私は幸いなことに列車から降りた直後でしたので閉じ込められるということはなく済んだものの、乗車中だといつになったら降りられるのか不安にさいなまれながら待ち続ける必要があるわけです。迅速な救出が必要ですが、そのための人員は決して十分と言えず、少なくとも低速での運行が可能かどうかの判断は安全一番でその確認作業には時間を要する、というにっちもさっちもいかないという事態が起こっているということが実感させられました。

 

車内に何時間も閉じ込められたときに自分は何ができるのか、どうすれば良いのか、自分ならどんな判断を下したでしょうか?冷静でいられたでしょうか?

このときの地震による被害はそこまで大きくなく、情報もインターネットなどで伝えられていましたので、仮に自分が閉じ込められていたとしても不安になることはそこまで多くはなかったと思います。しかし、地震による被害が大きく、自分の周りが普段と様変わりしていたとき、悲惨な情景がインターネットを通じて報道されていたとき自分は冷静沈着でいられるでしょうか?

 

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地震関連の報道

家に普段の2倍ほどの時間をかけて帰宅すると、テレビで今回の地震について繰り返しアナウンスされていました。

地震による建物の倒壊や停電・断水などの情報のほかに、先ほど私が見たような列車の車内に閉じ込められた人々、新淀川大橋を徒歩で帰宅する人で混雑する様子など帰宅困難者についても報道されました。

 

詳しい被害については後日詳細に伝えられましたが、中でも一番ブロック塀倒壊による死亡事故が一番印象的でした。

高槻市の小学校の壁が倒壊し、下を歩いていた女子児童が巻き込まれるという事故です。これは後日、元々あった高さ1.9 mの壁の上に目隠し目的でブロックが8段分 (1.6 m) 積み上げられた部分だったため、建築基準法施行令によって定められたブロック塀の高さ基準2.2 m以内をはるかに超えていたうえ、高さ1.2 m以上のブロック塀に設置が求められている控え壁もなかったことが原因と判明しました。

まさか本来安全基準を満たしているはずの小学校の壁がその基準を満たしておらず、そのせいで小学生が亡くなるという事態が発生するとは…私を大きく震撼させたできごとでした。

 

交通網については翌日になると概ね回復していましたが、一部区間で見合わせや減速があるなど完全に回復したというわけではないようでした。

翌日、学校は通常通り授業が行われましたが前日の地震の影響で少し混乱があるように思われました。奈良線に関しては普段と同じように運行されていましたが、東海道線JR総持寺駅付近で線路に異常があったようで普段とは違った運行がなされており、それが混乱の原因だと推察されました。

それも一周間程度で回復し、いつもの日常が取り戻されました。

 

 

あれから2年。

そのころ、2年後はパンデミックが発生して世界中が大混乱するなんてこと誰が予想できたでしょうか。

日常生活というのはもろくて崩れやすい、そんなことを2年間過ごすうちに思うようになりました。自然災害というのはいつ発生するものなのかは分かりません。それも今日のパンデミックのような自然災害といいますか、なんというか…世界中が繋がるようになった今日、いつどこで何が起こってどうなるのか、自然災害に加えて更によくわからないことだらけです。明日、どこでなにが起こるのか、誰にも完全に予想ができません。

日本は地震大国ということもあり、一人ひとりが地震から身を守るための知識は世界的に見ると高いほうだと思います。災害が発生したときに、その知識を生かすことができるのか、知識を活用するためには冷静に判断できるか、そのようなことが大切だと考えています。

東日本大震災のとき、様々な人の判断で津波から命が救われたり救われなかったり…そのような話はよくあります。それらの成功例に共通するのは冷静に判断できるか、知識を活用できたか、だと私は思います。もちろん、それ以外に要因があるのは確かですし、いくらそのように行動したからといって必ずしも成功するわけではありません。しかし、私はそのように生きていきたいと思います。

あくまでも、私個人の意見ですが…これをどう考えるか、ここから冷静な判断が必要ですね。

 

最後になりましたが、大阪府北部地震で亡くなられた方々にはご冥福をお祈り申し上げます。

【未成年でも飲める京都のお酒】京都米サイダー

お米と言えば日本古来からの主食ですが、中には日本酒専用のお米というのもあるんですね。そんなお米を利用してサイダーにしたのが今回ご紹介する「京都米サイダー」というわけです。

 

京都米…なんて聞いたことがありませんね。この京都米とは京都府酒造好適米「祝」のこと。

「祝」は、1933年に京都府立農事試験場丹後分場(現京都府丹後農業研究所)で誕生。当時から良質の酒米として高い評価を得ていたものの、戦争による食糧難の影響や、草丈が高く倒れやすい性質で機械化に適さなかったことから栽培が減少し、1960年代後半以降、栽培が途絶えていたのですが、高級酒志向が高まる中で「京都の米で京都独自の酒を造りたい」という気運が高まり、京都の伏見酒造組合が「祝」に注目しました。農家と酒造組合が力を合わせて復活に取り組み、1992年から再び栽培が始まりました。現在では丹後・丹波地域を中心に府内各地の契約農家で栽培され、府内の蔵元だけで「祝」を使った酒造りに取り組まれています。

 

 

 

でも、お酒はお酒。未成年の方や妊娠中の方、お酒に弱い方にはどうしても楽しんでいただくことができません。そこで、それをサイダーにしました。それが「京都米サイダー」というわけです。

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京都米サイダー

まずは外観から見ていきましょう。

米の形をを金色でデザインしたものになっています。米粒の中に稲穂がかたどられており、シンプルではありますが、一瞬でそれが米だと分かるようになっています。どこか日本酒のラベルのような雰囲気で、少しワンランク上の飲み物のような雰囲気があります。しっかりと「祝」のことが協調されています。

 

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米粒が沈殿している

米がそこに沈殿しているのはたくさん米が含まれているという証拠。

しっかりとかき混ぜて飲む必要がありますが、サイダーなので思いっきりかき混ぜるというわけにもいきません。

開栓前に逆さにしてお尻を回します。すると少しづつ米が落ちてきて全体に広がってくれます。

 

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お味の方は、お米の甘さがしっかりと感じられるようになっています。

始めは普通のサイダーのような感じではありますが、お米の食感を楽しみながら飲むことが出来ます。普段お酒用に使われているのでいつも食べているお米とは違った雰囲気を楽しむことができます。

 

京都でも「祝」という酒造用のお米が作られている、全国にアピールする上で良い品ではないでしょうか?

【神戸の街を海から一望】コンチェルト乗船記 2018/9/2

livedoorブログ「みやこ路のシティーライナー 鉄道日記」に投稿した記事を元に新たに再制作したものです。

 

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乗船前に埠頭から撮影

今回ご紹介するのはこちら「コンチェルト」です。神戸港を発着しレストラン船として神戸港の周辺を周航するクルーズしています。
元々は大阪港と神戸港を結ぶ大阪湾遊覧クルーズ船「シルフィード」として就航したのですが、現在では阪神淡路大震災からの復興のシンボルとして神戸港の一つの目玉となっています。

 

 

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ポートタワーと海洋博物館を入れて

コンチェルトは神戸を代表する建築物であるポートタワーと神戸海洋博物館が見える神戸ハーバーランドモザイク1Fから出航します。
船尾のコンチェルトの文字と合わせて神戸らしい一コマです。乗船開始時刻の少し早い目に行ってこの角度で記念撮影するのが良いかも知れません。

 

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コンチェルトのロゴマーク

コンチェルトという船の名前には神戸の青く広がる海の波の音や船の上から眺める景色、食事、演奏やイベントなどのエンターテインメントなどこれら全ての調和が「コンチェルト(協奏曲)」の意味に込められているそうです。

 

さて、コンチェルトに乗船し、神戸港の旅を楽しみましょう。

 

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この日私はたまたまペア乗船券をいただいたので祖母に連れられて乗船することに。ランチクルーズ、ティークルーズ、トワイライトクルーズ、ディナークルーズの一日4便運航されているのですが、今回乗船したのはティークルーズ。乗船時間は約1時間30分の小旅行です。

 

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船内で食べたチーズケーキ

レストラン船ということで料理を注文して船内で食べるということが基本となります。私たちはケーキセットを注文しました。ブルーベリーの味がアクセントとなるチーズケーキであったことをこの写真を見て思い出しております。

ドリンクは飲み放題ですが、アルコール類は有料でした。

 

料理を注文せずに乗船することも可能ですが、乗船のみのお客様が過ごすことができるスペースがエントランス付近のソファと最上階の甲板のみとかなり限られています。甲板からずっと景色を眺めるなら別ですが、何か料理を注文するのがおすすめです。いくら湾内のみの航海といえ、海の上は陸と違いかなり寒暖の差が激しいもの。私が乗船したのは9月でしたが、照り付ける太陽のおかげでずっと甲板にいるというのはかなり辛いと思います。食事後もレストランスペースは出入り自由なので、気ままに出入りしてフリードリンクで休憩しながら冷暖房完備の中でゆったりと過ごすこともできます。



さて、ここからは甲板に上がって私が撮影した写真を用いて簡単にコンチェルトからの眺めを紹介していこうと思います。

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大型貨物船

甲板に上がるとまず目に止まったのは写真の大型貨物船です。確か、航行中ではなく停泊していたものだったように思います。神戸港は国内有数の貿易港ですので、写真のような大型貨物船が日夜多数発着します。

 

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神戸空港を離発着する飛行機

神戸には海の港だけでなく空の港として神戸空港があります。コンチェルトに乗船していると上空を飛んでいく飛行機を必ずと言っていいほど見ることが出来ます(現在は新型コロナウイルスによる減便の関係で分かりません)。

写真は神戸空港ハブ空港とするスカイマーク。神戸ー茨城便を飛ばしていることが有名ですかね。

 

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明石海峡大橋

コンチェルト最大のハイライトはやはりこちらの明石海峡大橋ではないでしょうか。

明石海峡大橋の下を通るわけではないですが、迫力ある世界最大のつり橋を一望することができます。

 (反対側から明石海峡大橋を眺めた様子は以下記事に載せています。)

miyakoji-cityliner.hatenablog.com

 

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コンチェルトの旗と日の丸

ふと見上げるとコンチェルトの旗と日の丸がたなびいています。

日ごろのストレスから解放されて優雅な気分に浸ることができます。暑さ寒さを気にしなければの話ですが…。

 

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カラフルな駐車場が目に入る

カラフルな駐車場はUSSという現車オークションのもの。オンラインでオークションに参加できるそうで、そのオークションに出される車を保管しておくための施設だそうです。あまりにもカラフルなので遠くからでも目を引きます。

 

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タンカー

パシフィック エチレン…エチレンを運ぶ船でしょうか?船尾には横浜の文字も見えます。横浜と神戸の間を行き来する船なのでしょうか?疑問が深まりますね。

 

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ポートライナーが橋を渡る

印象的な赤い橋に目を向けると丁度ポートライナーが橋を渡ろうとしているではありませんか。慌ててシャッターを切りました。

この赤い橋は神戸大橋といって神戸市内とポートアイランドを結ぶための橋です。神戸の物流にとって必要不可欠な存在ですね。

 

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神戸大橋を渡った先でポートライナー同士がすれ違う

丁度反対側からもポートライナーがやってきたのですれ違いの様子を見ることができました。普段はホームドア越しからしか見ることが出来ないポートライナーのすれ違いとなると鉄道ファン的に興奮度MAXです!

 

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すれ違った編成が神戸大橋を渡る

2枚前の写真と比べてもらうとよく分かるのですが、先ほどの編成とは車体の塗分けが違うことにお気づきでしょうか?普段気づかないことでも別の角度からだと気づくこともあるものです。

 

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今度はカーフェリーを発見

今度はカーフェリーが見えてきました。この船は「みやざきエクスプレス」といって神戸港から宮崎を結んでいるようです。Wiki情報ですが…

 

川崎重工のドックが見えてくると、コンチェルトの旅もクライマックスになります。

川崎重工は19世紀後半に設立された歴史ある企業で、神戸には官営兵庫造船所が払い下げられて以降、今日に至るまで造船が脈々と続けられています。

 

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東海汽船ボーイング929型「ジェットフォイル

まず初めに見えてきましたのは、東海汽船ボーイング929型「ジェットフォイルです。東海汽船は伊豆諸島を中心に運行している船会社です。ボーイングと飛行機製造で有名なあのボーイング社です。飛行機製造以外にもこのような船の建造も手掛けているんですね。超高速船として東京や伊豆半島と伊豆諸島を結んでいます。

写真のピントが甘いようですが、ご了承を。

 

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海上自衛隊の潜水艦

もちろん自衛隊の船がいつ入港しているなんてことは機密情報ですから、見れたらラッキーな存在です。丁度浸水をしているところですかね?

 

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神戸ベイクルーズのRoyal Princess

神戸ベイクルーズはコンチェルトと同じく神戸港や大阪湾を周遊するクルーズ船ですが、一周40分から45分とコンチェルトに比べると手軽な存在でもあります。大人1300円、中高生・65歳以上1100円、小学生650円。今度は神戸ベイクルーズにも乗船してみたいところですね。

 

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神戸ベイクルーズのOcean Prince

神戸ベイクルーズにはこちらの「Ocean Prince」も運行されており、先ほどのRoyal Princessと交互に30分間隔で運航しています。それぞれの船で少し航行のコースが違うのでどちらにするかは予め調べておいた方が良さそうです。

 

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ハーバーランド前に到着

神戸ベイクルーズ「Ocean Prince」と並走したまま神戸ハーバーランド前に戻ってきました。「Ocean Prince」とポートタワー、神戸海洋博物館を入れて最後に一枚撮影。楽しかった神戸の海の旅もこれでもうおしまいです。

 

海の上からぜひ、いつもとは違う神戸をお楽しみください。

 

 

 

コンチェルト公式ホームページはこちらから

kobeconcerto.com

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