南海で行く高野山の旅 2020/9/28
日本有数の宗教都市・霊場として知られる高野山への参詣に便利なのが南海高野線。
近年では沿線のベッドタウン化が進み大阪への通勤・通学の足としても重宝されています。そんな南海高野線を利用して高野山へ行ってきましたので、紹介させていただきます。
目次
- 難波から快急で高野山へ一気に駆け抜ける!
- 高野山ケーブルで高野山へ到着
- 高野山上エリアでは南海りんかんバスを利用しよう
- まずは奥の院へ
- 高野山のもう一つの聖地、壇上伽藍(だんじょうがらん)へ
- 真言宗の総本山、金剛峯寺を参拝
- 昼食は精進料理を体験
- 時間があれば行っておきたい観光スポット
- 観光列車「天空」帰宅
- 高野山観光に便利な切符
- 高野山を参拝してみた感想
難波から快急で高野山へ一気に駆け抜ける!
南海電車のターミナル駅である難波駅。大阪のミナミの中心として知られる難波から高野山への旅が始まります。
南海難波駅からは和歌山や関西空港へ向かう南海本線の始発駅ですが、高野山へ向かう高野線系統の全列車が発着します。
南海高野線では難波駅から高野山の中腹にある極楽橋駅まで直通する列車が運転されています。かつては1時間に2本と言う高頻度で運転されていましたが、高野線沿線の宅地造成に伴う利用者急増を受けて、都市部と山間部での需要の違いから難波から高野山まで直通する列車はかなり大幅に削減されることになりました。現在では、本数はわずかながら、朝には高野山方面への下り列車が、夕方には難波行きの上り列車がそれぞれ高野山の参拝に便利な時間帯に運転されています。
また、全席指定の特急「こうや」が難波から高野山まで直通で運転されているほか、橋本駅で急行と区間運転の普通列車を乗り継ぐことで、高野山へ向かうことが可能です。
山間部にあたる橋本~極楽橋間は、50‰の勾配や半径100m級の急カーブが続くため、この区間に乗り入れる車両には大きな牽引力が必要とされるので、この区間へ乗り入れることが出来る車両は限られています。難波から極楽橋へ直通する全列車に使用されるのは2000系電車。平坦区間から急峻な山岳区間までにおいて、広範囲に速度と牽引力を制御できる性能を備えていることから、広角から望遠まで、広範囲に画角を変えられる、カメラのズームレンズ に例えて「ズームカー」という愛称があります。
車内は車端部を除いてロングシートが並びますが、その車内から見える景色は、高速で駆け抜ける都市部、住宅が多数立ち並ぶエリア、力強く突き進む山間部と、目まぐるしく変化し利用者を楽しませてくれます。特急列車じゃ味わえない日常の中にある非日常、と私は勝手に呼ばせていただきますが、どこか不思議な感覚を味わうことができるのがこの直通列車の特徴と言うわけです。ちなみに、この直通運転を大運転と呼ぶこともあります。
なお、この2000系電車は南海本線や直通列車以外の高野線の列車でも使用されていますが、この2000系電車の真価が問われる直通列車がやはり一番楽しいと思います。
高野山ケーブルで高野山へ到着
難波駅から極楽橋駅まで乗り換えなしで一本で来ることができますが、流石に極楽橋より山頂側は最大568.2‰という急こう配を登る必要があることから、極楽橋でケーブルカーに乗り換える必要があります。
高野線の列車の極楽橋駅発着時刻に合わせて運行されていますので、乗り継ぎの心配は無用。このため、運転間隔は不均等ですが、おおむね10 - 40分毎に運行され所要時間は5分。また、積み残しが発生した場合には当該便の7分後に臨時便が運転されます。
高野山ケーブルでは2019年3月1日から新型車両にて運行されており、客車部分はスイスのキャビンメーカーのCWA社が手掛け、欧州風の流線型が特徴的なアルミ製の車体に、高野山・壇上伽藍の根本大塔を想起させる朱色をコンセプトカラーとして採用し、和洋折衷のデザインで高野山への「期待感」を醸成しています。
高野山上エリアでは南海りんかんバスを利用しよう
ケーブルカーの高野山駅から金剛峯寺などが立ち並ぶエリアとは少々距離が離れていますので、ケーブルカーで高野山駅で到着後は南海りんかんバスに乗り換えることになります。南海りんかんバスは高野山駅前からバス専用道を走りますので、バスを利用せずに歩いていこうと思うととんでもない距離を歩くことになります(笑)
バスと言うと運行本数が気になるところですが、ケーブルカーに接続していますので、難波駅から乗り継ぎよく金剛峯寺まで行くことが出来ます。
まずは奥の院へ
高野山駅前からバスで約14分、「奥の院口」バス停で下車します。まず初めに高野山駅から一番遠い奥の院から参拝を始めるのが一般的です。ここから奥の院までは約2キロの道のりとなります。
奥の院への入り口となる一の橋は、弘法大師御廟に向かう参道入口で最初に渡る橋なので、一の橋と言われます。正式には大渡橋(おおばし)と言われ、昔から、お大師様が人々を、ここまで送り迎えしてくれると言い伝えられています。
表参道入り口、一の橋から弘法大師御廟まで通じる約2キロの参道両側には、何百年も経た老杉が高くそびえ、その老杉のもとには、少しでもお大師様の近くで供養されたいと願う数十万基を超える各時代の、あらゆる人々の供養塔が建ち並び、高野山が日本一の霊場である事をあらわしています。
数十万基の供養塔の中には歴史上に名を残した戦国武将の墓も沢山あります。これを目当てに全国の戦国武将マニアが高野山に押し寄せるほど。戦国武将には疎い私でも、名を知っている武将の墓がたくさん見つかりました。
流石、南海のお膝元、いや南海が高野山のお膝元というのが正しいのかもしれませんが…南海電鉄創業者の松本重太郎氏の墓もありました。
中の橋を渡るとすぐの、この地蔵堂の中には、汗かき地蔵をお祀りしています。この汗かき地蔵は、世の中の人々の苦しみを、お地蔵様が身代わりになり一身に受けているので、いつも汗をかいていると伝えられています。
この橋を渡ると大師御廟への霊域に入ります。この橋を渡る人は、橋の前で服装を正し、礼拝し、清らかな気持ちで霊域に足をふみ入れます。この橋は、36枚の橋板と橋全体を1枚として37枚と数え、金剛界37尊を表していると言われ、橋板の裏には、仏様のシンボルの梵字が刻まれています。この橋の上で、あの苅萱道心(かるかやどうしん)と石童丸親子(いしどうまる)が初めてめぐり合ったとも伝えられています。この橋は従来、木の橋でしたが、現在は原型通りの石橋に架け替えられています。
なお、ここから先は写真や動画の撮影が禁止されていますので、写真でのご紹介はここまで。この先には燈籠や弘法大師御廟があります。
奥の院へは「奥の院口」バス停で降車せず、「奥の院前」バス停までご乗車いただいても観光することが可能ですが、奥の院口から徒歩で奥の院まで向かうのがおすすめ。「奥の院前」からは弘法大師御廟まで徒歩約20分の観光コースになります。ですが、高野山の雰囲気を本格的に味わうには参道を歩かれることをおすすめします。
高野山のもう一つの聖地、壇上伽藍(だんじょうがらん)へ
弘法大師さまが高野山をご開創されたときに、真っ先に整備へ着手した場所ですがこの壇上伽藍です。空海が実際に土を踏みしめ、密教思想に基づく塔・堂を建立しました。この壇上伽藍は、「胎蔵曼荼羅(たいぞうまんだら)」の世界を表しているといわれています。高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所で、古来より大師入定の地である奥之院と並んで信仰の中心として大切にされてきました。
今回はこの壇上伽藍に来たからには見るべきポイントを紹介します。
高野山御開創当時、お大師さまの手により御社に次いで最初期に建設されたお堂で、講堂と呼ばれていました。現在の建物は7度目の再建で、1932年に完成しました。 内部の壁画は岡倉天心に師事し日本美術院の発展に貢献した木村武山画伯の筆によって、「釈迦成道驚覚開示(しゃかじょうどうきょうがくかいじ)の図」や「八供養菩薩像(はっくようぼさつぞう)」が整えられました。本尊の阿閦如来(薬師如来、秘仏)は、洋彫刻の写実主義に関心をよせ、江戸時代までの木彫技術に写実主義を取り入れて、木彫を近代化することに貢献された、高村光雲仏師によって造立されました。内部の写真を撮ることはできませんが、これらの作品は必見です。
高野山で執り行われる重要な行事の大半はここで行われます。
鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うため、紺紙に金泥(きんでい)で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵です。現在の建物は1934年2月に再建されました。経蔵の基壇(きだん)付近のところに把手がついており、回すことができるようになっています。この部分は回転するようにできており、一回りすれば一切経を一通り読誦した功徳が得るといわれています。私は友人と二人で参拝したのですが、その二人だけでも軽々...とまではいきませんが回すことができました。建物を自分の力で動かすということはなかなかないことなので、かなり不思議な感覚になります。
高野山と言えば、よくパンフレットなどに使用されるのがこの大塔。現在ではシンボル的存在として扱われています。
この大塔は816年から887年ごろに完成したと伝えられており、真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立されたので古来、根本大塔(こんぽんだいとう)と呼んでいます。多宝塔様式としては日本最初のものといわれ、本尊は胎蔵大日如来、周りには金剛界の四仏(しぶつ)が取り囲み、16本の柱には堂本印象画伯の筆による十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)、四隅の壁には密教を伝えた八祖(はっそ)像が描かれ、堂内そのものが立体の曼荼羅(まんだら)として構成されています。
真言宗の総本山、金剛峯寺を参拝
奥の院、壇上伽藍と来ると次に参拝すべきは金剛峯寺ではないでしょうか?
高野山真言宗の総本山がこの金剛峯寺にあたります。高野山全体の宗務が行われており、住職には高野山真言宗管長が就任するしきたりになっています。
国内最大級の石庭「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」や狩野派の襖絵など見どころが多数ありますが、襖絵に関しては撮影禁止。しっかりと目に焼き付けて帰りましょう。
本堂内には高野杉と呼ばれる杉の木の切り株が展示されていました。実際に見てみると本当に木の切り株なのかと疑ってしまうような大きさで、大変驚かされます。
蟠龍とは、天に昇らずに地上でとぐろを巻き、潜んでいる龍のこと。広さ2340平方メートルに及ぶ石庭に、雲海の中雌雄1対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されています。
昼食は精進料理を体験
折角高野山に参拝に来たのならば、やはり昼食は精進料理ではないでしょうか?日常生活ではほぼ食べる機会のない精進料理ですが、この機会にぜひご賞味ください。
ちょっと腹持ちの悪さは感じましたが、バリエーションの豊富さで肉なしでも満足できるような内容になっていますよー。
時間があれば行っておきたい観光スポット
大門
高野山の入口にそびえる、一山の総門である大門。開創当時は現在の地より少し下ったところにあったようです。山火事や落雷等で焼失し、現在の建物は1705年に再建されました。高さは25.1メートルあります。左右には金剛力士像が安置されています。この仁王像は東大寺南大門の仁王像に次ぐ我が国二番目の巨像と云われ、江戸中期に活躍した大仏師である運長と康意の作です。
この大門付近からの眺望はよく四国や淡路島が見えることもあります。
徳川家霊台
1643年に三代将軍・家光によって建立されました。一重宝形造り(いちじゅうほうぎょうづくり)の建物が二つ並んでいて、向かって右が東照宮家康公霊舎(おたまや)、左が台徳院秀忠公霊舎となっています。
建物の内部は漆、金箔、壁画等で装飾されていますが、現在見学をすることはできません。
女人堂
その昔、高野山には七つの登り口があり、高野七口と呼ばれていました。1872年に女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りが厳しく制限され、そのため各登り口に女性のための参籠所が設けられ、女人堂と呼ばれました。現在の女人堂は唯一現存する建物で、もっとも高野山駅に近い場所にある建物でもあります。
観光列車「天空」帰宅
南海高野線の極楽橋駅から橋本駅の間には急こう配の斜面や24個ものトンネル、高低差443mもある山岳区間を楽しんでいただけるよう、観光列車として「天空」を運転しています。
天空で使用される2200系電車は元々難波から極楽橋駅まで直通する急行列車に使用されていた22000系電車を改造して登場しました。
座席はすべて難波方面に向かって進行方向左の景色が楽しめるように配置されています。こちら側の景色からは紀ノ川や険しい山岳の景色を一望することができます。
また、編成中には一か所オープンデッキが備え付けられていますので、山々を抜ける風や険しい坂道を登ったり下ったりする車両の走行音を堪能できます。
橋本駅では急行 なんば行きに接続していますので、橋本駅到着後も便利なダイヤ設定になっています。
普通乗車券に追加520円(子供260円)で利用することができますので、利用してみてはいかがでしょうか。
高野山観光に便利な切符
今回、私が利用したのは阪急電車が販売する「高野山1dayチケット」。阪急電車、大阪メトロの全線と、南海の高野線系統の路線、南海りんかんバスの高野山内が乗り放題となった切符です。また、能勢電版は阪急版に加えて能勢電全線が乗り放題となっています。高野山までの往復だけで十分元が取れる切符ですが、高野山内で使える便利な割引クーポンもセットになっています。このほかにも、高野山参拝には便利なフリー乗車券が販売されていますので、ぜひご利用ください。
高野山を参拝してみた感想
真言宗の総本山である、高野山。その山頂付近は麓とは違った空気感の流れる場所でした。高野山までの長い道中、いや利便性については現在申し分のないほどだと思いますが、ここに至るまでの間、都心の風景、住宅街の風景、田畑の風景と人々の営みが感じられ、また高野山に参拝して気持ちを改めて生きていこうと思えるような場所であったと思います。別段、天台宗もとい仏教を信仰しているわけではないですし、これからも厚く信仰しようと思うわけでもないですが、一生に一度は訪れたほうが良い場所であると思います。四国88か所めぐりの起点と終点にもなっている高野山、機会があればぜひ足をお運びください。