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【なぜに世界遺産】石見銀山観光の虎の巻 2020/8/5-7 島根④

※本文中の情報は取材日のものです。できるだけ最新の情報に更新するよう努めてまいりますが、お出かけの際には各自で最新情報をお調べいただきますようお願い申し上げます。

山陰地方唯一の世界遺産として知られる石見銀山。山陰に旅行へ行くなら一度は行ってみたいと思われる方も多いのではないでしょうか?今回は、石見銀山世界遺産に認定された理由とぜひ行くなら見ておきたい見どころについて紹介していきたいと思います。

 

目次

 

2007年に世界文化遺産に認定!

 「石見銀山遺跡とその文化的景観」は2007年に鉱山遺跡としてはアジアでは初めて世界遺産に登録されました。その規模は東京ディズニーランド約11個分にも及ぶ529haで、間歩と呼ばれる坑道だけでなく、鉱山と共に発展した趣深い町並みには今も人々が暮らし、歴史を伝え残しています。

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大森町石見銀山の残る自然

世界遺産に登録されている鉱山遺跡は極めて異例の存在。しかし、石見銀山世界遺産登録の決め手となったのは、山を崩したり森林を伐採したりせず、狭い坑道を掘り進んで採掘するという、環境に配慮した生産方式をとっていたという、他には類を見ない存在であったということです。

一般的に銀山開発には銀の精錬のため多くの木材が必要で、山の木が無くなることが通常でしたが、石見銀山では、採掘当時から山を崩したり森林伐採をせず、銀鉱脈に沿って狭い坑道を掘り進める採掘方法や伐採した数と同じだけ植林を行うなど適切な森林管理が行われていました。

これが、21世紀が必要とする環境への配慮がすでに行われていたと高く評価されることになりました。

また、採掘から搬出までの銀山運営の全体像がしっかりと残りそれを今の時代にも伝えられていること、石見銀山の銀がアジアやヨーロッパ諸国の経済や文化の交流に影響を与えたことなども世界遺産登録の重要なポイントとなりました。

 

石見銀山の基礎知識

採掘から精錬まですべて手作業で行われていた石見銀山は、間歩(坑道)や製錬工房跡、住居跡などが多数残っています。 石見銀山の観光を最大限に楽しむ秘訣は「繋がりを考える」こと。石見銀山の発展がどのように影響したのか、銀の採掘と精錬がもたらした銀山に住む人々の生活などを複合的に観察して考察することが重要になってきます。

つまり、ただ単に坑道や町並みを眺めるだけでは石見銀山の真価を理解するということができません。まずは、石見銀山を楽しむための基礎知識を学びましょう。

 

石見銀山の歴史

石見銀山鎌倉時代末期には発見されており、この頃からある程度の露天掘りが行われていました。しかし、これは本格的なものではなく必要なときに必要な量だけ掘り出すというものでした。

本格的に開発に乗り出したのは博多の大商人、神谷寿貞とされています。神谷寿貞は博多から宗丹と桂寿を招き海外渡来の銀精錬技術である灰吹法により精錬されました。この技術でより効率的に銀を得られるようになり、全国の鉱山に伝えられ、日本における銀産出に大きな貢献をすることになります。

石見銀山はその後、日本経済の商業的発展を大きく支えることとなります。国内での通貨として用いられたほか、明でのポルトガルやオランダとの交易に利用されることになりその経済規模の為に銀需要はかなり大きかったと言えます。当時の世界の銀産出量の3分の1を日本の銀が占めたとも言われています。

江戸時代には江戸幕府の直属領として産出が進められ、明治時代には民間に払い下げられました。1886年からは大阪の藤田組(現在のDOWAホールディングス)により再開発が進められましたが、1943年には完全閉山となりました。

 

 石見銀山から広まった精錬方法、灰吹法

貴金属の鉱石は基本的に混合物として採掘されますが、反応性は低いので金や銀の鉱石を融解した鉛に投じると、鉛に溶け込んで合金を生じます。この金銀が溶け込んだ鉛を空気を通しながら約800-850℃に加熱すると、鉛は空気中の酸素と反応して酸化鉛になります。銅、鉄、亜鉛といった不純物は酸化して酸化鉛と混合します。残った貴金属粒子は吹金(灰吹金)あるいは灰吹銀と呼ばれました。

残った貴金属合金粒子から金と銀を分離するには、硝酸で銀を溶解するか、電解を行えばよく、江戸時代の日本では金を含有する灰吹銀に鉛および硫黄を加えて硫化銀を分離し、金を残すという手法が採られました。

日本には1533年に伝来し、石見銀山で確立されたのちに日本全国の鉱山へ技術者が移住することで日本全国でこの灰吹法が用いられることになったのです。この貴金属の精錬方法は日本の金属の生産に大きく影響したといわれています。

 

石見銀山を観光しよう!

石見銀山へ行くなら絶対に見ておきたい龍源寺間歩

石見銀山には銀山採掘のために掘られた「間歩(まぶ)」と呼ばれる坑道や水抜き坑などが700余り確認されています。

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新切間歩

写真のような間歩が至る所に存在します。鉱物が沢山採掘されるとその間歩が更に掘り進められることになるので、穴の大きさと鉱物の採掘量はかなり密接に関係しているようです。大きな間歩を見つけたときにはこの間歩では沢山採掘されたんだなと思いをめぐらしてみてください。

間歩の中は基本的に鉱脈に沿って掘り進められているので内部は入り組んでおり、中には急な勾配もあります。内部は基本的に立入禁止です。興味本位で間歩に入り込んだ方が過去に転落して亡くなったという事例もあるようで…絶対にやめましょう。

 

間歩のほとんどが一般人の立入は禁止されていますが、唯一一つだけ一般公開されている間歩があります。それが龍源寺間歩。

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龍源寺間歩

龍源寺間歩は唯一通年で見学することのできる間歩です。江戸時代の中期に開発された大坑道で、全長600mのうち、約3分の1が公開されています。

間歩の中の気温は外気に比べて-10℃ほど低く、中はひんやりしています。これは内部の湿度が高いことが影響しているとか。私が訪れたのは満夏真っ盛りだったので自然のクーラーを楽しむことになりました。

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龍源寺間歩に残る横穴

あちこちに掘り進められた横穴や排水のための竪坑など、複雑な坑道の仕組みを垣間見ることができます。このような横穴が沢山ありますので、中で迷子になって遭難してしまうというわけなんですね。また、坑道の壁面には当時のノミの跡がそのまま残っています。

 

龍源寺間歩までの道のりにも見どころが沢山

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高橋家

銀山町年寄山組頭の遺宅で茶室を設け、付属建物では酒造なども行なっていたという銀山屈指の建築です。「山組頭」は鉱山の取締役で鉱夫の人事や物資の購入などを担当していました。

 

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要石(かなめいし)

前述のように石見銀山で良く用いられた精錬方法の灰吹法では精錬前の鉱石を砕く必要があったことから、当時から使用していた要石が家の軒先に置かれていました。炭鉱夫以外にもこの炭坑地区に住んでいた方が石見銀山とどのように密接にかかわってきたのかよくわかる証拠だと思います。

 

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銀山地区にはお墓が残る

こちらは銀山地区に残るお墓と言うわけですが、炭鉱生活をしていた人々のお墓がたくさん残っています。

先述した灰吹法を用いた精錬を扱っている人々は、酸化鉛や水銀の粉塵を吸い込むことで鉛中毒や水銀中毒を発症し、鉱山での劣悪な環境も相まって30歳まで生きられた鉱夫は尾頭付きの鯛と赤飯で「長寿」の祝いをしたほどだったそうです。

 

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集落跡

こちらの写真は石見銀山の採掘に当たっていた人々が住んでいた集落の跡になります。石で階段状になっているところにかつては家が立ち並んでいたそうです。

 

ガイドツアーが断然おすすめ

環境保護のため自家用車の立ち入りはかなり規制されている関係で、龍源寺間歩へ直接車で行くことはできませんので、石見銀山大森観光案内所の前の駐車場に車を止めてそこから30分から45分ほど歩くことになります。電動自転車のレンタサイクルを利用していくこともできますが、ここでおすすめしたいのがガイドツアー。この長い道のりを利用して石見銀山のことを詳しく伝えてくれます。

これまでに紹介したように龍源寺間歩以外にもその道のりには様々な見どころがあります。一人では見逃していますようなところでも、丁寧なガイドの方の解説によってまわることができます。「石見銀山観光ワンコインガイドツアー」は大人500円、小中学生100円ですので、時間さえ合えば参加の価値は十分にあると思います。ガイドツアーに参加することでまた見え方が変わってくるのではないかと思います。

 

 古い町並みが立ち並ぶ大森地区

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大森地区の町並み

江戸時代の武家屋敷や代官所跡、石見銀山で栄えた豪商・熊谷家住宅など、歴史的な建造物や文化財が並び、当時の面影を今に伝えてくれます。その通りをのんびり散策すると、どこか懐かしい雰囲気に包まれます。その景観を壊さないよう、自動販売機も木製枠で造られているなど様々な工夫が施されています。

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熊谷家住宅



近年では、古民家の趣を残しつつ新しさも取り入れたお店やカフェなどもあり、落ち着いた雰囲気に癒される人気のスポットになっています。銀細工を扱ったお店もあり、お土産などを購入することもできます。

 

更に石見銀山のことを詳しく知りたいなら世界遺産センターへ

石見銀山世界遺産センター」は、石見銀山の歴史と技術を紹介する展示や、石見銀山の調査・研究センターとして、最新の調査成果を公開していく施設です。
当時の銀の精錬技術である灰吹法(はいふきほう)を解説する常設展示などのほか、企画展も開催します。展示コースの最初には、全て銀でできた御取納丁銀の5倍のサイズのレプリカが飾ってあります。

 

石見銀山での移動手段は?

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グリーンスローモビリティ

石見銀山への一番の最寄り駅は大田市駅ですが、そこからバスで1時間ほどかかるので可能であればマイカーまたはレンタカーで訪れられることをお勧めします。銀山地区と大森地区も少し離れた距離にありますし、世界遺産センターへも少し距離が離れていますので石見銀山内での移動にも車が便利です。しかし、石見銀山では環境保護の観点から大森観光案内所までしか観光車両は立ち入ることができません。しかし、その先徒歩45分ほどの距離には龍源寺間歩があるなど移動はかなり大変。そこで、私が訪れた際には社会実験の一環で電動自動車を用いたグリーンスローモビリティが運行されていました。運賃は当面の間無料と言うことでしたが、銀山内での移動に大きく役立てることができました。

 

観光の所要時間など

石見銀山での観光の所要時間は3-4時間程度で周ることもできますが、是非とも6時間ほどかけてゆっくり周っていただきたいと思います。ぜひとも島根県へ足を運ばれる際には石見銀山にもお立ち寄りください。

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